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 美術館の屋上ではつつじがきれいな季節となってまいりました(この記事を書いているのは5月末です)。彫刻もうれしそうに見えます。まだつぼみもありますので、写真よりももっときれいになるはずです。しかし、花の命は短し、この記事を掲載するころには、姿かたちを随分と変えてしまうのでしょうね。果かなく定められた物事の移り変わりを記憶の中にのみ留めておくなんて美しいかもしれませんが、そんな風にやっていたら、寄る年波には勝てず、先ほど耳にしたことを直ちに忘却の彼方に追いやる昨今の自らを省みると、花の命よりも記憶のほうがはるかに果かないなんてことになりかねません。

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 ということで、そんな私たちの欠落を補い、視覚的なイメージを記録する革命的なメディアとなった写真に敬意を表して、今回は美術館における写真撮影についてご紹介しようと思います。


 新人(若くはないですが)の私が現在担当しているのは、コレクション展や写真関連のことなどです。写真といっても、美術作品としての写真でもなければ、自撮棒を振り回すタイプの写真でもありません。愛知県美術館は多数の作品を所蔵していますが、図録を作ったり、広報用のポスターやチラシを作るためには、精度の高い作品写真が必要となります。そこでどうするか、というと、一点一点作品の写真を撮るのです。とはいえ、スナップ写真のように簡単にいくわけではありません。


 作品といっても、絵画もあれば立体作品もあり、巨大作品や脆弱な作品もあります。写真撮影のためにまず、撮影できる場所に作品を設置するだけでも一苦労です。ここで紹介するのは設楽知昭さんが綿布で作った服を着たまま、その服を画布にしてテンペラ絵具で描いた≪目の服・上衣≫の撮影シーンですが、服という不安定な形態をとる作品を、絵具の剥離や損傷がないように移動させ、撮影に適した場所に設置するだけで、かなり気を遣います。ちょうど先日まで展示中であった機会をとらえて、展示室内での移動だけで済むように配慮しました。写真は、N学芸員の指導のもと、展示場所から慎重に作品を下ろした後に担架に乗せるように移動させて、撮影場所の壁面に再設置している様子です。

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 続いてカメラマンのKさんに登場いただきましょう。貴重な作品の写真をより良いものに仕上げるにはやはりプロの技が必要です。まずは機材を展示室に運び入れ、撮影場所を確認してもらった後に、照明の準備にかかります。
 みなさんも絵をカメラで撮影したら自分の顔も写りこんでいた(もし怖い絵を写したからといって、こんな場合は心霊写真ではないですね)、記念撮影で顔が真っ黒に写った、など失敗談は多々あるのではないかと思いますが、作品を撮影する際に、その作品の見栄えを損なってしまってはイメージ稼業の美術館にとっては元も子もありません。また、作品によっては油彩画や金属を使った作品のように反射してしまうもの、凹凸があって作品内に影ができてしまうものなど、光の扱いが難しいものがあります。照明の当て具合が出来上がりを左右してしまいますのでカメラマンは細心の注意を払い、光量を確認しながら作業を進めます。傘型の機材は、被写体が他人から見えないように隠しているわけではなく、光の当たり具合を調節しているというわけです。

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 ところで、最後の写真では撮影に使ったカメラが写っていますね。多くの方はご存じないか、最近は目にされていないのではないでしょうか。これは通称「シノゴ」と呼ばれている4×5インチ(102×127mm)のフィルムを使う大きなカメラです。若い世代はもうデジタルカメラしか知らないそうですが、以前は35ミリフィルムカメラがほとんどでした。その呼び名はフィルムの幅に由来していますが、「シノゴ」は35ミリよりも情報量がかなり大きく、ポスターなどに大きく引き伸ばしてもきめ細やかな画像を得ることができます。美術館業界では「シノゴ」は主流でしたが、昨今の急速なデジタル化の波にのまれて、フィルムカメラの利用は全般に激減し、Kカメラマンも本当に数少ないフィルムカメラの撮影で緊張する、とのこと。それでも愛知県美術館では今後の動静を見守る必要を感じながらも、これまでの「シノゴ」に対する品質面での信頼感がありますし、デジタルではデータのコピーなどによる不正利用に関してコントロールが困難な面があること、色調や解像度などの内容面でも同様に制御が難しいことなどから、フィルムを採用しています。


 ということで≪目の服・上衣≫の撮影は無事終了、あとは片づけをして、フィルムの納品を待つだけです。
Kさん、ご協力ありがとうございました。
愛知県美術館の作品をあしらったポスターをご覧になったら、それには欠かせない撮影のことにも、ちょっとだけでも思いを馳せていただければうれしいです。
(RH)

担当させてもらったコレクション展内の企画「出来事――いま、ここ という経験」「黄金伝説」展と同時開催中(5月29日まで)です!コレクション展を初めて一から担当させてもらったのですが、今回はその裏話を少しお話したいと思います。
コレクション展を企画するためには、その美術館の所蔵品をどれだけ熟知しているかが重要なポイントになります。しかし、愛知県美が所蔵している作品は約8000件…私の浅い経験では全部の作品を把握出来ていないため、ひとまずはじめは自分の知っている範囲で展示プランを考え始めました。しかし、それだけではもちろん不十分、と経験豊富な先輩学芸員に「こういうテーマでやりたいのだけれども…」とぽろぽろと相談し始めると、「あれは?」「これは?」と次々知らない作品を教えてもらうことができました。それによってテーマを拡充することが出来るような作品も加わり、だんだんとボリュームが増えていきます。

コレクション展示の作品選定には様々な事情が絡んできます。この作品は久しく出していないからor新収蔵作品だし、このタイミングで出したいね…といったこともあったり、収蔵庫の作品の状態もそれぞれに異なっています。展示に際しては額装が必要な作品、状態を考慮すると今は展示出来ない作品、展示作業が大がかりになるため人員と時間を確保しなければならず今回は難しい作品などもありました。単にコンセプトに合う作品を選ぶだけではなく、このような条件を考慮しながら展示を構成し、作業のスケジュールを計算していきます。

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↑ 時々出して展示方法を代々引き継ぐべき作品パク・ヒョンギブルー・ダイニング・テーブル

第2章にあたる「出来事を共有する」では、1970年に行われた第10回東京ビエンナーレ「人間と物質」展をひとつの出来事として捉えることを試みています。当館に安齋重男、大辻清司の写真があることは知っていたのですが、企画段階で両者が同じ展覧会を撮影していたことに気が付きました。ということは、二人は写真家として、この出来事を異なる形で共有していたといえるのかもしれない…と思い、その視点の違いを対比的に見せてみることにしました。さらに、複数の批評家が記した展評やドキュメントもひとつの展覧会を浮かび上がらせるための記録として展示しています。
実はこの「人間と物質」展、愛知県美術館の前身、愛知県文化会館美術館も当時の巡回先となっていたのです。せっかくなのでその様子もお伝えできればと考え、残されている文化会館時代の資料を漁ってみたのですが、残念ながら今回は関連したものを見つけることは出来ませんでした。しかし、展示を伝える愛知県文化会館ニュース「窓口」(発行は1961-91年。古くから当館をご愛顧していただいている方には懐かしの?)や、毎日新聞の紹介記事を取り上げています。これは愛知在住の作家さんから特別協力を得て実現することができました。この場を借りて改めて感謝します。

 

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↑開催前夜。普段とは違う紙でキャプションを用意したり、全文に目を通してもらえるよう雑誌の他ページをコピーしたりして、ぎりぎりまでかかった展示作業もなんとか終了…。

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↑当時の新聞記事

批評家・中原佑介による企画の先駆性から現在、再び注目されている「人間と物質」展ですが、愛知の他に京都、福岡にも巡回しており、開催期間は短かったものの各地の鑑賞者、作家たちに大いに刺激を与えたことは間違いありません。巡回先のひとつであった愛知の資料はなかなか少ないようですが、個人的にはこれを機にまた調査していきたいと思っています。名古屋は特に縁のない土地でしたが、コレクション展をきっかけにこの土地固有の視点を持てたことはとても嬉しいことでした。黄金伝説展だけでなく、この機会に是非コレクション展にも足をお運びいただければと思います!

*第3章「記憶のなかの出来事」で展示している野田弘志「湿原」シリーズは、1983-85年に朝日新聞に掲載されていた加藤乙彦による連載小説の挿絵として描かれたものだそう。当時、紙面上で読まれていた方はもしかして小説を思い出されるかもしれません。(N.O)

 

 さて、前回お伝えしたとおり、長い道のりをへて無事に到着したピカソですが、このような長時間のフライトや移動を経た後は木箱をすぐに開けることはありません。「シーズニング」といって翌日以降までそのままにして環境になじませてから、木箱から取り出して移動中に何か変化がなかったかの点検するのです。着いた日は週末だったので翌々日に開梱、点検をピカソ美術館の保存修復の学芸員と一緒に行い、すぐに展示室へ移送して展示作業へかかりました。

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▲クレート(輸送箱)を開けたところです。

 ピカソ美術館は非常に古い建物を再利用した美術館なので、それぞれの展示室はさほど大きくはありませんが、展示された部屋はピカソ美術館の中でも中心的な展示室でそれも壁の真ん中に飾るところが用意されていたのでした。
 ほかの展示室の案内も含めて館長が丁寧に応対してもらい、作品を架けるフックや照明などそれぞれ確認をしながら展示作業は進められました。展示そのものはワイヤーで吊るタイプではなく専門スタッフが新しく塗り替えられて用意された壁に作品に合わせたフック用の穴を、日本製のドリル!であけ、盗難防止の留の付いたフックを使って高さや水平を調整しながら架けました。

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▲世界のマキタ!

 日本を出発する直前にピカソ美術館からは今回の愛知県美術館の作品をピカソ美術館で展示することについて取材依頼が来ているので是非対応してほしいとの連絡がありました。どんな取材になるのかと期待半分、不安半分だったのですが、実際にはバルセロナのあるカタロニア地方の地方紙の女性記者とスペイン全国紙の男性記者とカメラマンが来て展示の終わった作品を前にしてそれぞれ直接のインタビューを受けることになりました。《青い肩掛けの女》がどういった経緯でいつ収蔵したのか、愛知県美術館コレクションでの位置付けはどうか、来館者はどんな様子かなどについて尋ねられました。記者たちはスペイン語だったので、スペイン語の出来ない私のために、ピカソ美術館の館長に英語に通訳していただいてのインタビューとなりました。

 そのあとピカソ美術館のチーフキュレーターにピカソ美術館でこの作品を展示する意味やこの作品の重要性などを聞いていました。おかしかったのは、そのチーフキュレーターへのインタビューの様子を私が写真に撮ろうとしたら、そのまま動かないでくれとカメラマンが《青い肩掛けの女》を背にして私がカメラを構えている様子を撮影し、なんとその妙な写真が全国紙の紙面とウェブに載せられたのでした。 

 

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▲インタビュー中に撮影されました。

 

 このように《青い肩掛けの女》は現地でもニュースになる注目されることであったのです。愛知県美術館が1992年の開館に向けて収集を始めて最初の寄贈作品であったこの《青い肩掛けの女》は長年展示室で見慣れていてつい素通りしがちになっていたのですが、バルセロナでも注目される重要な作品であることを改めて感じさせられた出張になりました。この作品のおかげもあって今度の「ピカソ、天才の秘密」展にはバルセロナのピカソ美術館からは油彩と素描合わせて5点の作品が来日しています。もちろんの《青い肩掛けの女》もそれらと一緒に帰国して展示室に並びました。
 1月3日からの「ピカソ、天才の秘密」展にはバルセロナのピカソ美術館だけでなくパリのピカソ美術館やワシントンDCのナショナルギャラリーやフィラデルフィア美術館などからも名品が出品されています。是非ご来館いただければと思います。そして上記のような裏話を思い出しながら見ていただけると別の面白さもあるかと思います。

(S.T)

 ピカソ展を直前にして、9月にバルセロナのピカソ美術館へクーリエ(作品随行員)として出張したことをご紹介します。このクーリエ出張は201613日から始まる「ピカソ展、天才の秘密」展の準備の一環でした。というのはバルセロナのピカソ美術館との出品交渉をしている中で、条件として出てきたのが愛知県美術館所蔵のピカソ青の時代の名品《青い肩掛けの女》を貸してくれるならバルセロナから複数の作品を貸してもよいというものでした。美術館どうしの関係はお互いの信頼関係はもちろんのこと互いに借りたい作品を持っているのかといったことも影響し、展覧会の成否にも関わってきます。大前提としては、展覧会そのもののコンセプトが相手の館に理解されること、空調を始め保安上なども含め美術館の基本条件をクリアしていることなのですが、借り出しが難しいものを借りるためにはこうした条件が示される場合があるのです。

というわけで美術館の実力を測る物差しの一つには他館が借りたい所蔵品をいかに多く持っているのかがあるわけです。つまり優れた所蔵作品を持てば持つだけ美術館活動をやりやすくなります。もちろんの博物館の一種である美術館は作品を始めとする美術資料を収集し保存して後世に残していくという本来的な役目があるのですから常に収集し続けることが自明であることはいうまでもありません。ですから一定程度収集すれば展示室に並びきらないほど集めなくてもよいのではなどという乱暴な議論は美術館を単なるイベント会場として認識するような的外れなものです。
 
さてバルセロナへのクーリエ業務ですが、残念ながら観光旅行のような気楽なものではありません。日本からバルセロナへは直行便がないので、どこかで乗り継ぎをするかヨーロッパのハブ空港に降りて陸送するかしかありません。当初は乗り継ぎで行った方が時間的にも体力的にも楽なので、それを希望していました。しかし、最も早く行けるのはドバイ経由でしたが、作品の積み替えのことを考えると環境条件や安全性の点で不安があるということで、結果としてはパリまで直行し、パリからは陸送ということになりました。

まず、作品を入れた木箱を愛知県美術館から東京まで空調の効いた専用のトラックで7時間ほどかけて陸送し、一旦倉庫で一泊、翌朝7時前には再度トラックに積み込み羽田空港へ。貨物を積み込む専用の所で慎重にアルミ製の箱に木箱を梱包するのに立ち会ったのち自分は旅客ターミナルへ。パリまでのフライトはおよそ13時間、夕方についてトラックに積み替えパリ市内の専用倉庫へ入れて一泊し、再び翌朝の7時にバルセロナへ向けて出発。ドライバーは交代要員として併せて二人が乗車し、一人は後ろの席で仮眠が取れるようになっています。私は助手席にただひたすら座り続けて地図と対照しながら道々に現れる景色と道路標示に目を向ける事およそ14時間、その間わずかにトイレ休憩2回とごく短い昼食とガソリン給油のみで、6年ほど前に落馬で骨折した腰が再び痛みだしてしまいました。

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▲朝日が昇るとともに出発です。

 

日本を出発前に輸送業者からは所要時間を7時間ほどと聞いていたので、なんとその倍かかるとは大変な誤解でした。思えばパリからバルセロナまでの距離を確認すればとんでもない間違いだと分かったはずですが、トラックに乗ってからドライバーから所要時間を聞いたので、はじめは冗談かと思ったほどでした。 

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▲ガソリンスタンドで給油中

 

さて、フランスとスペインの国境にはユーロのマークがあるだけで特別なパスポートチェックのようなものは何もありません。ユーロ統合以降陸路で国境越えをしたことがなかったので、一応のチェックぐらいあるのではないかとこれも誤解していました。

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▲国境付近 

 

バルセロナ市内へ入った頃には当然夜になっており、景色を眺めるようなこともなく旧市街地にあるピカソ美術館へ到着。ピカソ美術館は路地に囲まれた中にあり、大きなトラックは直接近づくことはできません。路地の入口には警察官が待ち受けており、一般車の通行を一時的に遮断し、路地に駐車したトラックからの荷卸しを警護してくれていました。愛知県美術館のように4トントラックごと建物の搬入口へ入れるなんてことは到底できないわけです。スペインへ入ったころは少し雨模様でしたがありがたいことにピカソ美術館へ着いた時には雨は上がっており、小さな台車に乗せ換えた《青い肩掛けの女》の入った木箱を作業員が美術館まで運びます。美術館脇の小さな広場を囲む店先のテーブルには飲食を楽しむ人々がいて、その脇をガラガラと台車を押していくのを見るのは不思議な感じでした。そして、美術館内に入りエレベーターで収蔵庫まで運んだのでした。

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▲夜の搬入です。

 次回は美術館での出来事についてお伝えします!

(S.T)

現在開催中のコレクション企画「線の美学」展は、当館が所蔵する古代から現代におよぶ様々な作品から、“線”を切口に選出、構成したものです。当館には考古遺物から現代アートまで、実に幅広く作品が所蔵されていることに、改めて驚かれる方もいらっしゃるのではないでしょうか。
 この企画展の特色の一つは、愛知県文化情報センターが所管していた「愛知芸術文化センター・オリジナル映像作品」より、『フーガの技法』(2001年、監督:石田尚志)と『T-CITY』(1993年、監督:勅使川原三郎)が選ばれ、上映されていることでしょう。「オリジナル映像作品」は、“身体”を統一テーマに設定し、様々なジャンルの作家がそれぞれ独自性を発揮し、ユニークかつ実験的な作品を生み出してきました。ドローイング・アニメーションの『フーガの技法』と、水平・垂直線で構築された世界で展開するダンス・フィルム『T-CITY』は、どちらも線というテーマでも語ることができる共通点があります。
 もう一つトピックス的な観点からも、この2本には共通性があります。それは今年開催され話題となった企画展と、どちらも関わりが深いということです。『フーガの技法』の石田尚志は、横浜と沖縄で大掛かりな個展「石田尚志 渦まく光」を開催し、日本における注目すべき映像系の現代アーティストして、その存在感を示しました。この「渦まく光」展でも、『フーガの技法』は石田の代表作として、しばしば紹介された重要作品です。
 一方『T-CITY』は舞踊家の勅使川原三郎が監督した、日本における本格的なダンス・フィルムの先駆作です。この作品でもう一つ注目されるのは、スーパーモデルの元祖ともいわれる山口小夜子が出演している点です。山口小夜子は2007年に惜しくも亡くなられましたが、ファッションの世界だけに留まらず、ダンスや映画などにも積極的に活動領域を広げた、マルチ・アーティストとも呼べる存在です。その多彩な活動を検証すべく、今春、東京で大掛かりな企画展「山口小夜子 未来を着る人」が開催されましたが、松本貴子監督によるドキュメンタリー『氷の花火 山口小夜子』も制作され、現在公開中です。『T-CITY』は28分の作品で、展示室で観るにはやや長い感じもしますが、訪れた方々は山口さんのパフォーマンスに目を奪われてか、皆さんじっくりと鑑賞されている様です。
 11月29日(日)から始まる上映会「第20回アートフィルム・フェスティバル」でも、『フーガの技法』と『T-CITY』は上映されます。こちらは本来のフォーマットであるフィルムによる映写の美しさを味わってください。上映日は12月5日(土)です。そして翌6日(日)には「オリジナル映像作品」シリーズ最新第24弾、山城知佳子監督『創造の発端 ?アブダクション/子供?』(2015年、出演:川口隆夫)も初公開されます。こちらもお見逃しなく!
 なお勅使川原さんは来年開催される「あいちトリエンナーレ2016」プロデュースオペラの演出家として、石田さん、山城さんは現代美術の出品作家として、それぞれ参加されることになっています。
(T.E)

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キャプション:勅使川原三郎『T-CITY』(1993年、愛知芸術文化センター・オリジナル映像作品) 

Photo: Martin Richardson