現在開催中の「あいちアートの森」、堀川プロジェクトのメイン会場「東陽倉庫テナントビル2F」にて、1月30日にアーティスト・トークを開催しました。
出品作家の関智生さんと加藤マンヤさんに、自作について語っていただきました。

△まずは、関智生さんによる解説を聞きました。
イギリス留学時代に取り組んでいた制作方法等についての詳しい説明の後、日本に戻ってきてから改めて考えさせられたことや影響を受けた作品の紹介をして下さいました。最後に、展示作品の技法や見どころについて教えて下さいました。
関さんは「反射/反復/反転」を課題において作品制作をしているということでした。今回の出品作品は「日本の自然の緑」を「緑の補色である“赤”」で描いた風景画です。明るく見えるところに色をつけ、暗く見えるところは色をつけないという、水墨画のような手法をとっています。実際の風景をそのまま描くのではなく、写真のネガ・フィルムのように色彩や濃淡を反転させて描いていることがわかりました。
続いて、加藤マンヤさんの展示ブースへ移動し、お話を聞きました。

△テーブルに見える白い作品についての説明を聞いているところ。
この作品は、食用の豚の油を精製したラードで形づくられた土地の上を人形が多数配置され、そこに作家が行ったことのある場所が投影されています。ラードは「人類に欠かせない食の歴史」を暗喩し、投影された場所を行き交う人々(人形)は、かつて自分がいた場所で今も続いている人々の人生であったり、すでに自分の中では止まってしまっている人々の記憶であったりを表している、ということでした。

△加藤マンヤ《マーキング中毒》2008年
これは、これまでの制作話に出てきた作品のひとつです。本や雑誌を読んでいて、重要だと思うところに目印として付箋をつけることがありますよね。この《マーキング中毒》は、付箋を貼りすぎてしまうと“付箋(重要だと思うところ)”の意味が無くなってしまうことを投げかけている作品です。マンヤさん曰く「常識だと思っていることが、よく考えてみると実はおかしいことがある。FannyというよりCynicalを意識しています。作品を見た人が、自分の日常の中で同じようなことを見つて楽しんでもらえたらいい。」
マンヤさんの作品には、思わず“にやり”としてしまうユーモアがあります。
加藤マンヤさんは2月6日からスタートする常滑プロジェクトにも出品します。《マーキング中毒》を含む9点が、中部国際空港(セントレア)のPカウンターに展示されます。こちらも要チェックです。
今回は、作家さんの制作過程で考えていることを教えていただき、作品を見るときのヒントになりました。貴重なお話をしていただき、ありがとうございました!
アーティスト・トーク第三回は、2月21日(日)午後2時~を予定しています。
(KO)
愛知県美術館のお宝は、なんといってもグスタフ・クリムトの《人生は戦いなり(黄金の騎士)》です。ということで、ウィーンに生まれてウィーンで活躍したクリムトにゆかりの地を何回かのシリーズに分けてご案内しましょう。
クリムトは父エルンストと母アンナの2番目の子供として1862年にウィーン郊外で生まれました。クリムト関係の本やカタログの年譜を見ると、生まれた所は「リンツァー通り247番地」と記されています。

↑かつての生家

↑生家にかつてつけられていたプレート
今でもこの通りや番地は存在するのか、存在するとしたら今どうなっているのかを確かめてきました。
まずはインターネットの地図検索で ”linzerstrasse 247 wien” と入力すると、あっという間に場所が特定できます。今でもその通りや番地が存在していることがパソコンで確認できました。最寄り駅は地下鉄のウンター・ザンクトファイトだということもわかります。市街地からはU4(地下鉄4号線)のヒュッテルドルフ方面行きに乗り、有名なシェーンブルン宮殿のあるシェーンブルン駅の次の駅になります。カールスプラッツ駅からは7番目です。ここまでわかればあとは実際に行ってみるだけです。

↑ウンター・ザンクトファイト駅
ウンター・ザンクトファイト駅を出たら左に向かいます。地下鉄と平行して流れる大きな側溝のような川を渡り、電車の高架を二つくぐり、少し行くとリンツァー通りと交差します。一昔前の写真を見るとリンツァー通りには路面電車が走っており、今でも路面電車が通る広い通りです。さて、交差点を左折して少し行くと、ありました! 予想していた通り、壁に生誕地を示すプレートが付いていました。

↑リンツァー通り、オレンジの建物がクリムト生誕の地

↑「リンツァー通り247番地」の表示と生誕地を示すプレート

↑プレートの中央にはGVSTAV KlIMTの名前が彫られ、下の部分には「ウィーン分離派の協同設立者の画家グスタフ・クリムトが1862年7月14日に生まれた家が此の地に建っていた」と記されています。
名前の文字も地の装飾もクリムトっぽいでしょ。単に活字を並べただけの素っ気ないかつてのプレートとは一味違いますね。クリムトの名前はサインをもとにしたもので、地の渦巻き模様や鳥のモチーフは〈ストックレー・フリーズ〉から採ったのでしょう。
生家は1968年に取り壊され、現在は別の建物が建っていますが、プレートがクリムトの生誕の地であることを示しています。しばらくあたりをうろうろしてみましたが、そこに暮らしている人たちはみな、このプレートを見ることもなく通り過ぎていきます。よほど物好きな人くらいしかここを訪れることはないのでしょう。
(HF)
*モノクロ画像出典:クリスティアン・M・ネベハイ『グスタフ・クリムト ドキュメンテーション』ウィーン、1969年。
「あいちアートの森」、堀川プロジェクトのメイン会場の「東陽倉庫テナントビル2F」で、1月23日(土)に出品アーティストによるトークを行いました。会場でも奥まった部屋で展示している3名の作家さんに参加していただきました。

△右から、村田千秋さん、栗木清美さん、沢居曜子さん。(筆者)
奥に見えるのは村田千秋さんの作品です。
三作家へインタビューする形でトークを進めました。
70年代に制作を始められた沢居曜子さんと村田千秋さんは京都市芸術大学の同級生。
「学生紛争の時代で、普通に絵を教えてもらう、普通に絵を描くような環境ではなく、“なぜキャンバスを選ぶのか”“なぜ油彩を選ぶのか”など、それを選ぶ“必然性”をとにかく問わなければいけない時代だった」とのこと。村田さんは「(師である)堀内正和さんの学内ばかりでなく学外での教えも、自分にとっては影響が大きかった」ことをお話いただきました。
一方、80年代に制作を始められた栗木さんは、「70年代の作家は“社会”を考えて制作していたように思う。80年代は海外からの情報も多く、技法も多種多様になり“自分は何をしたらいいのか”を考えさせられる“個人主義”な時代でした。」とのこと。
時代背景と共に作家の考え方や制作の姿勢も変動していくことがよくわかりました。
展示してある作品についてお話いただきました。

△栗木清美さんの作品
栗木さんは30代に色について悩み、無彩色といわれる黒・灰・白のみを使って描くことに決めた経緯などを教えて下さいました。

△奥に見えるのが、沢居曜子さんの作品
沢居さんのここに展示してある作品は、ここでしか見られません。
会期が終わったら、壁にはりつけた正方形の青色のキャンバスを剥がさなければならないからです。「記録として残るだけで十分。作品は残らない方がいい。」とスパっと言い切る沢居さんでした。
沢居さん→a Ghost from the Little Forest in the North。
栗木さん→村田千秋さん、沢居曜子さんのように自分から突き放している作品。
村田さん→映像の大西伸明さんの作品。
理由も三者三様で面白いお答えをいただきました。
あっという間にお時間がきてしまいました。
出品作家さんの生の声が聞けるって本当に貴重な経験だと実感しました。生きている“今”しかできないことですから。
作家の生の声が聞ける、アーティスト・トーク第2回目の開催を予定しています。予定参加作家は、下のお二人です。

△加藤マンヤ作品《大和カントリークラブ》
戦艦大和の上にゴルフ場です。

△関智生作品
加藤マンヤさんと関智生さんが、それぞれ自作について語ります。
★1月30日(土)午後2時?(1時間程度)展示会場にて
皆さんのご来場お待ちしております!
(KO)
現在開催中の「あいちアートの森」、堀川プロジェクトのメイン会場が「東陽倉庫テナントビル2F」です。
70年代のボーリングブームのときには“ボーリング場”として、その後“配送センター”などを経て、最終的には“マンションのモデルルーム”として使われていた場所です。バブルのかおりも漂う、現代日本ならではの特殊な空間が「アートの森」に変身しました。

△会場入口
つい通り過ぎてしまいそうな場所にあります。
向かい側に、本年開削400年という歴史ある「堀川」という川が流れています。

△モデルルーム時代の豪華な“バスルーム”
倉地比沙支さんの手にかかればこの通り。作品をたどると、バスルームのストーリーがみえてきます。

△モデルルーム時代の換気用ダクト部屋
巨大な黄色カタツムリのような物体は、沖啓介さんの作品《空圧タトリン》。

△廃材置き場だった場所
a Ghost from the Little Forest in the Northの作品。扉も開けられないほどのゴミの山が、アメリカの50年代風隠れ家に変身しました。ゴミの山から出てきたものを使用していて、パワフルなエネルギーが感じられます。ずっと奥まで進んでみてください。
巨大迷路のような会場には、36作家、約110点におよぶ作品を展示しています。どの作品も、ココでしか見られないものですよ。
(KO)
皆さんにコレクションの魅力をお伝えしよう!と、昨年から始まったコレクション・トーク。
第4回は、現在展示されている西洋絵画から数点と写真についてお話しました。作品の背景や別の作品との関係も含め、個々の作品をできるだけ掘り下げられるようにご紹介しました。
西洋絵画については、普段はクリムトやピカソなどの陰に隠れて、あまり取り上げられることのないフランス人画家のラウル・デュフィ、アルベール・マルケ、ジャン・デュビュッフェの作品をご説明しました。デュフィとマルケはフォーヴィスムの画家仲間、デュフィとデュビュッフェは同じル・アーヴル出身です。
デュフィの1906年に描かれた《サン=タドレスの浜辺》。
彼はこの浜辺の眺めを何枚もの作品に描いています。それらの作品を見比べていると、ちょっとした発見が!当館の作品では浜辺沿いの道を2人の通行人が歩いています。が、よく見ると画面右下に黒い足が2本!!これは別の作品の傘をさした人物の表現と似ています。気に入らなかったのか、構図上の問題なのか、デュフィはこの人物を描いた後、上から塗りつぶしてしまったようです。

↑画面右下を見てください!

↑緑の絵具のしたから足がみえる!?

↑これはデュフィがサン=タドレスの眺めを描いた別の作品に登場する人物
上の消されてしまった人物の足と似てるような・・・
次に写真の展示室ですが、「芸術家たちの姿」と題し、アーヴィング・ペンによる芸術家のポートレート、アンディ・ウォーホルのセルフポートレート、制作する芸術家たちの姿をとらえた大辻清司と安斎重雄の写真が紹介されています。

↑アーヴィング・ペンの写真 右からフランシス・ベーコン、ピカソ、ヘンリー・ムーア、ジャスパー・ジョーンズの肖像
特にアーヴィング・ペンの肖像写真は、さすがファッション写真家!どの作家も非常にかっこよく、ダンディです。特にピカソの肖像は絶品で、口元は襟で、額は帽子で隠れ、右目は影になって見えず、左目だけが大きく見開かれています。鋭い眼光とその周囲に刻まれた深いしわは、天才画家の強い個性を、緊張感を持って伝えます。
またフランシス・ベーコンの肖像は、通常何もない無機質な背景にモデルを置いて撮影するペンには珍しく、背景の壁に何かが貼ってあります。ひとつはレンブラントの自画像が掲載された印刷物のようです。

↑ベーコンの参照資料に掲載されていたレンブラントの自画像
ベーコンは過去の巨匠たちの作品を自らの作品に引用して制作しました。そのため、このレンブラントの印刷物のように、絵の具で汚れたりしわくちゃになった資料が、彼のアトリエに山のようにありました。ペンの写真は、レンブラントとベーコンの自画像という2重構造になっています。
さらに、ベーコンがなくなった後、アトリエからペンが撮影した写真が発見されました。

↑ベーコンのアトリエから発見された写真
面白いことに、この写真は、レンブラントの印刷物のように、絵の具が飛び散りしわだらけになっていました。ペンの写真はもはや肖像写真ではなく、レンブラントの印刷物と同じ資料になってしまったわけです。そこには自画像というイメージではなく、資料という物質としての2重構造が示されているようです。
作品には制作過程があり、作家の意図があり・・・と、さまざまな情報が隠されています。鑑賞するだけでは分からない情報を、少しでも皆さんにお伝えし、作品や作家、美術にもっともっと関心を持っていただけるようにしたいと思います!
今回のコレクション・トークにご参加くださいました皆様、ありがとうございました!
(MRM)