2011年03月12345678910111213141516171819202122232425262728293031

クリムトを巡る旅 その3 ウィーン大学

2011年03月25日

 ウィーンのリンクシュトラーセ(環状道路)に面してウィーン大学が建っています。クリムトは1894年にマッチュとともに、そこの講堂天井画の依頼を受けます。

klimtvienauniv.jpg

△リンクシュトラーセ越しのウィーン大学(右端の方形の屋根のあるところが正面入口、講堂はこの写真の真正面の場所にある)

 クリムトが担当したのは《哲学》《医学》《法学》で、それらは1900年から1903年にかけて分離派展で順次公開され、大論争を引き起こしました。

klimtvienauniv002.jpg

《哲学》

klimtvienauniv003.jpg

《医学》

klimtvienauniv004.jpg

《法学》

 ちなみに《法学》が初出品されたのは1903年の第18回分離派展で、すでに公開済みの《哲学》や《医学》もこの展覧会で同時に出品され、愛知県美術館の《人生は戦いなり(黄金の騎士)》も初めて公開されています。

 最終的にクリムトは1905年に《哲学》《医学》《法学》の3点を買い戻すことになります。しかし、それらは第二次世界大戦中に疎開先の戦災で焼失してしまい、現在ではモノクロの画像しか残されていません。

 ウィーン大学入口の受付でクリムトの天井画を見たいと申し出れば、場所を教えてもらえます。講堂の天井には現在、所定の場所にモノクロの画像がはめ込まれています。マッチュによる周りの絵に比べて、クリムトの作品がいかに前衛的であったか伺い知ることができます。
(H.F.)

klimtvienaauditorium1.jpg

左下《医学》、右下《哲学》 ウィーン大学講堂

klimtvienaauditorium2.jpg

左下《医学》、右下《哲学》、右上《法学》 ウィーン大学講堂