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ポロックの足跡を訪ねて2  生地コディ (後編)

2011年03月28日

 

  

 

 愛知県美術館がこの秋開催する「生誕100年  ジャクソン・ポロック展」(今年11月11日 - 来年1月22日)に関連してお届けしているこの「ポロックの足跡を訪ねて」シリーズ、第2回の今回は、「生地コディ(前編)」(2011年2月23日)の続きです。

 

 

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▲ バッファロー・ビル歴史センター (2006年撮影)。

 


 ポロックが生まれたコディ(米国ワイオミング州)は、西部開拓史の伝説的人物ウィリアム・フレデリック・コディ(通称バッファロー・ビル)が建設した街であることは前編でお話ししましたが、コディには、その建設者の名を冠した「バッファロー・ビル歴史センター」という大きな施設があります。これは、バッファロー・ビル博物館、ホイットニー西部美術ギャラリー、平原インディアン博物館、コディ銃器博物館、ドレーパー自然史博物館などから成るアメリカ西部の歴史・文化についての複合ミュージアムです。

 

 

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▲ 第23回平原インディアン博物館パウワウ (2004年撮影)。

 


 コディでは毎年、平原インディアン博物館が主催する「平原インディアン博物館パウワウ」というイベントが行われています。「平原インディアン」(Plains Indians)は、グレート・プレーンズ(ロッキー山脈の東側に広がる大平原)に住んでいたさまざまな種類のアメリカ先住民の総称です。また「パウワウ」(powwow)というのは、踊りや音楽を伴った彼ら先住民の祝祭的集会です。コディのパウワウはとても興味深いので、2004年にコディ調査旅行を計画した際、このパウワウのタイミングに合わせて行くことにしました。2004年の第23回平原インディアン博物館パウワウは6月19日-20日の2日間だったのですが、「18-54才、男子、伝統ダンス」や「13-17才、女子、ファンシー・ショール・ダンス」といったように、平原インディアンの人々による世代別かつ性別かつ種類別の多様なダンス・コンテストが盛大に行われていました。
 ポロックはアメリカ先住民文化に深い影響を受けていて、1944年(32歳)には「私はかねがね、アメリカンインディアン美術の造形的質には非常に感銘を受けてきた」とも明言していますが、平原インディアン博物館での展示やパウワウから、彼の生地コディにも豊かな先住民文化があったことを知ることができました。

 

 

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▲ ハリー・ジャクソン 《スタンピード》 1965年  ホイットニー西部美術ギャラリー   (2006年撮影)

 

 ちなみに、バッファロー・ビル歴史センターの中にあるもう一つのミュージアム、ホイットニー西部美術ギャラリーには、前編で紹介したポロックの親友ハリー・ジャクソンさんがポロックに捧げた《スタンピード》が常設展示されています。この絵の画面右下には、"Dedicated in memory of the painter Jackson Pollock" (「画家ジャクソン・ポロックを偲び、捧ぐ」)と、ハリーさんによる書き込みが入っています。

 


 ところで、世間一般では、コディはポロックの生地としてよりもむしろ、アメリカ最古の国立公園であるイエローストーン国立公園へのゲートタウンとして知られています。コディから80kmほど西に行くと、イエローストーン国立公園に入ります。約9,000平方キロメートル(鹿児島県とほぼ同じ面積)という広大な園内にはさまざまな自然の見どころがあり、とても一日や二日では回りきれません。

 

 

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▲ イエローストーンのシンボル、オールド・フェイスフル・ガイザー (2004年撮影)。50m近くも噴き出す巨大な間欠泉です。

 

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▲ ミネルヴァ・テラス (2006年撮影)。地下から噴き出す温泉に含まれる石灰質が堆積して、白く輝く美しい階段状の構造を成しています。

 

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▲ 路傍で草を食べる野生のバッファロー (2006年撮影)。恐怖を抑えて、思いっきり近寄って撮ってみました!

 


  他の見どころにも寄っていきたい気持ちを断ち切って車を走らせ、イエローストーン国立公園を南に抜けると、そのまま次のグランド・ティトン国立公園に入っていきます。

 

 

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▲ ジャクソン・レイク (2004年撮影)。

 

 

 まもなく右手に大きな湖が見えてきます。それがジャクソン・レイクです。ジャクソン・ポロックの「ジャクソン」という名は、このジャクソン・レイクにちなんで付けられたものです。ポロックのお父さんは若い頃、この美しい湖の辺りで狩りをするのが好きだったそうです。
 もともとポロックの正式な名前は「ポール・ジャクソン・ポロック」(Paul Jackson Pollock)といいました。しかし、ポロックと家族の間の書簡などから確認できる限り、ポロックは少年時代、家族のうちで「ジャック」と呼ばれ、また自らそう呼んでいました。そして18才頃に、「ポール」というファーストネームを捨てています。もしポロックが「ジャクソン・ポロック」でなく、「ポール・ポロック」だったら、名前から受ける印象はずいぶん違いますね。

 

 

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▲ グランド・ティトン山脈とスネーク・リバー (2004年撮影)。

 

 

 ジャクソン・レイク沿いに道を走り、ジャクソン・レイクを過ぎる頃から、文字通り蛇のようにくねったスネーク・リバーという川が右手に見え出します。そうしてスネーク・リバーを横目で見つつ、さらに車を飛ばし続けると、ジャクソンという街に入ります。

 

 

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▲ ワイオミング州ジャクソンの入口の看板 (2004年撮影)。

 

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▲ ジャクソンの中心街にあるカウボーイ・バー (2006年撮影)。

 


 ジャクソン一帯にはスキー場がたくさんあって、ジャクソンはリゾート的な感じもかなりありますが、コディに劣らずウエスタンな街です。そして、ジャクソン・ポロックの「ジャクソン」という名と関係のある街とくれば、その雰囲気はひとしおです。

 


 最後はコディを離れてジャクソンまで話が飛んでしまいましたが、こうして1912年にコディに生まれた一人の赤子が、やがて芸術家を志してニューヨークに出、アートの世界を変える偉業をなしてゆくのでした。

 

 

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 愛知県美術館の「生誕100年 ジャクソン・ポロック展」では、そんな20世紀美術のスーパースター、ジャクソン・ポロックの仕事を、初期から晩期まで包括的にご紹介します。日本初のポロック回顧展となる本展、どうぞご期待ください! 

(T.O.)