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皆さんはじめまして。

本年度より愛知県美術館に入りました新人学芸員です。企画展の準備や教育普及に関わることになりました。

愛知県美術館は、20世紀以降の美術作品、そして古今東西の美術品を誇る木村定三コレクションという見ごたえのある所蔵品を持っています。それと同時に、作品の保存に関わる優れた設備とスタッフを備えた国内有数の美術館でもあります。

そして、最近では学芸員が美術館の裏側をリポートするこのブログでもひそかにその名が知られているようです!

 

新年度ということで、今回は、新人の私が美術館スタッフの仕事場の様子をお伝えしたいと思います。

愛知県美術館のスタッフは、館長・副館長以下14人の学芸員と、5人の事務職員を中心に、アルバイト・スタッフや、案内監視スタッフで構成されています。

学芸員の日々の仕事については常にこのブログでも紹介されているので、今回は省略させていただくことにして。

 

早速ですが、学芸員室に潜入…

まずは受付から。

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なぜ学芸員室に受付が必要なの?と思った方もいらっしゃると思いますが、学芸員室には、いろいろなお客さまがいらっしゃいます。美術館の運営に関わる業者の方々、他館の学芸員さん、そしてアーティストも。皆さんをここでお迎えしています。


さて、こちらが学芸員のデスク。
今回は、整理整頓の行き届いたデスクを持つ先輩学芸員Oさんの後姿をパチリ!

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学芸員は、ここでメールのやりとりをしたり原稿を書いたりします。たくさんの資料のレイアウトには各学芸員の個性が見られて大変興味深いです。
私も他館の学芸員室をいくつか拝見したことがありますが、机や本棚の配置が異なるものの、皆さんたいていこのようにブース状になった個人スペースで仕事をされているようです。

 

続いて、パソコン作業のスペース。

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もちろん各学芸員は個人用パソコンも使いますが、作品のデータ管理をしたり、画像処理を行う時はここ。ホームページやブログの更新もここでやっています。講演会の垂れ幕を作ったりするための大きなプリンターもあります。

 


おまけで、工作作業スペース。

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キャプションや簡単なパネルは、学芸員やアルバイト・スタッフさんがここで手作りすることも。限られた予算内で必要なものを揃えるため、できることは自分たちで!というわけです。ここでは器用さも問われます…。

去年のあいちトリエンナーレの際には、学芸員Sさんがパネル作りに大活躍で重宝されていたとか。こんな能力もぜひ身につけていきたいものです。

 


そしてそして、学芸員室の奥には友の会の方々のお仕事場もあります。

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会員の方々はここに集まって、美術館のお仕事を手伝ってくださったり、友の会独自の活動をされたりしています。
新人の私は、友の会の活動スペースが学芸員室に隣接してあるということにちょっと驚きました。友の会の活動が美術館に根づいていることを感じます。

友の会の活動は、このブログの過去の記事、および友の会のホームページでも紹介されています。

 

さてさて、美術館のスタッフは学芸員だけではありません。
各展覧会の会計やギャラリー利用に対応する事務スタッフも、美術館には欠かせない存在です。学芸員とは違った意味で、美術館のプロフェッショナルと言える方々。新人の私たちも美術館の運営のしくみを教わることが多くなりそうです。

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学芸員の部屋とは少し雰囲気が違いますね。

 


そして、忘れてならないのは、展示室で働く案内監視スタッフさんたち。そのお仕事はこちらで紹介しています。

 

他にも、警備スタッフや清掃スタッフなど、美術館を安全で快適な場所として利用してもらうために働くスタッフの存在も大切です。


「学芸員って普段はどこにいるの?」と質問されることも多いですが、学芸員だけでなく美術館スタッフのほとんどが、このように展示室の裏側でひっそり(?)仕事をしています。展覧会を見にいらした時には、壁の向こう側に私たちの働く姿を想像していただけるとちょっと嬉しいです。

今年度は新人が2人ということで、学芸員チームも若者が増えましたが、一日も早く一人前になれるよう、奮闘せねばと思っています。
美術館の現場ではまだまだ学ぶことが多いですが、先輩の皆さんと力を合わせて魅力的な美術館を作っていくとともに、このブログも盛り上げていきたいと思いますので、どうぞよろしくお願いします。

私の同期であるもう一人の新人学芸員も、まもなくブログに登場する予定です。お楽しみに!

(S.N.)

どうしても「企画展のおまけ」的な見方をされてしまう所蔵作品展。しかし、その美術館らしさが最も出るのが所蔵作品展です。なんと言っても、その美術館が様々な検討、調査の末に所蔵した作品で構成されているのですから。今回は所蔵作品展についてお話します。

さて、愛知県美術館の所蔵作品は約7600点以上。そこから百数十点の作品を選択し、所蔵作品展とします。

 

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↑所蔵作品展の展示室の様子です。クリムトなど欧米絵画作品から日本画、陶芸、現代アートまで展示作品は多様です。

 

今回の所蔵作品展の特徴は第4室にあります。館長自らブログでお話ししているように、この度の大震災を受けて急遽予定を変更、特別に被災地へ思いをよせた展示内容としています。災いを断ち切ると言われる密教法具から始まり、村上華岳の『散華』、そして東北地方ゆかりの佐藤忠良、舟越保武などの彫刻が並んでいます。
実はこうした展示に対して、時期尚早ではないか、美術館は実社会とは違う空間だから魅力があるのでは等々様々な意見も美術館内からあがりました。それでも、この時期に美術館が出来る事は何かを考えた結果、この展示に踏み切りました。所蔵作品展にはいつも、美術館で働く人たちの思いが込められているのです。

 

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↑第4室の様子。心静かに作品と向き合える空間にしています。

 

おまけなんかじゃない(!?)所蔵作品展。企画展を見るとついつい疲れてしまって、という方には、10階のレストランで一休みしてからご覧いただくことをお薦めします。優雅な一日を過ごせること間違いなしです。
あと、6月4日には、所蔵作品について学芸員がお話しするコレクション・トークも行われますー。
(F.N.)

 

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↑企画展の感想を話しつつカフェで一休みしたら、所蔵作品展に行ってみましょう。

 

みなさん「ツタンカーメンのエンドウ豆」って聞いたことありますか?

「ツタンカーメン」といえば、もちろんエジプトの王家の谷から発掘された古代エジプトの王様の名前です。1922年イギリスのカーナヴォン卿の支援を受けた考古学者ハワード・カーターにより発見、発掘されたのですが、ツタンカーメン王の墓は三千年の時を経ても副葬品がほとんどそのままに発掘されて、とくにその黄金のマスクによって世界的に有名になりました。

そして「エンドウ豆」というのは、その墓からはエンドウ豆も発見されて、発見者カーターが持ち帰って、発芽・栽培に成功したと言われているのです。人によっては三千年もの長期間ののちに豆の種子が生存することに疑義を呈し、「豆自体もエジプトで自生している野生種であり、直系の種と言われても判別はつかない」という夢のない話もありますが・・・。日本には戦後に伝えられ、古代ロマンの夢を託しておもに小学校や教育センターを通じて広がったそうです。ムラサキエンドウとも呼ばれ、葉は普通のエンドウとよく似ていますが、花やさやが紫色になります。

 

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そしてこの豆を使って、豆ご飯を炊くと炊きあがりは普通と変わらないのですが、保温しておくとアラ不思議!赤飯のような色になるのです。とてもおいしかったですよ。

 

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さて、現在愛知県美術館のロビーには《ツタンカーメンのえんどう豆》という彫刻作品が展示されています。

この作品の作者は愛知県瀬戸市出身の加藤昭男さんです。加藤さんは1995年に心臓病のために倒れ、救急車で運ばれて入院、そして療養生活を送るという生命の危機を体験しました。この体験はそれまで彼が主題としてきた人間と自然、生命というものを見つめ直す機会ともなりました。偶然の事ながら加藤さんの家では副葬品の「ツタンカーメンのエンドウ豆」の子孫の種子を譲り受けたのでした。永い眠りの年月を経て発芽したエンドウ豆に生命の復活を見、生命の危機を乗り越えた自分と重ね合わせて、退院後しばらくしてから、この作品を制作したということです。

 

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愛知県美術館は、現在の所蔵作品展で東日本大震災で被災した地域の人々に寄り添う気持ちを込めた展示を行っていますが、「危機を乗り越える」という主題のあるこの作品を展示に加えることで、東日本の復活、復興の願いを込めました。もちろんそうした意味ばかりでなく、エンドウに留まった蝶々のゼンマイ状のくちとエンドウ豆の巻いている蔓、羽と葉という造形的な響き合いなども鑑賞していただけたらうれしく思います。

(S.T.)

 


  愛知県美術館はこの秋、「生誕100年  ジャクソン・ポロック展」を開催します(11月11日 - 来年1月22日)。それに関連してお届けしているこの「ポロックの足跡を訪ねて」シリーズ、第3回の今回は、カリフォルニア州チコです。

 

 

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▲ チコの看板(2006年撮影)。

 

 1912年1月28日にワイオミング州コディに生まれたポロックは、実際のところその街には1年足らずしか住みませんでした。同年11月28日、ポロック家はコディを離れます。そしてカリフォルニア州サンディエゴやアリゾナ州フェニックスを転々とした後、1917年、5歳の時にやってきたのがカリフォルニア州チコです。

 

 

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▲ チコの看板のそば(2006年撮影)。右手は果樹園。

 


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▲ チコ市内、ポロックの家があったサクラメント・アヴェニューの某果樹園(2006年撮影)。残念ながら、ポロックの家は残っていない模様。


 チコはサンフランシスコから北に約280km上がったところにあるのどかな街です。辺りには昔から果樹園がたくさんあって、今も果物栽培が盛んです。

 

 

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▲ カリフォルニア州立大学チコ校(1887年創立)のキャンパス(2006年撮影)。

 

 

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▲ チコ博物館(2006年撮影)。

 

 チコは小さな街ですが、大学も博物館もあります。また、アートも盛んで、ギャラリーやスタジオがけっこうあります。とりわけ特徴的なのはパブリック・アートで、街のあちこちに作品が設置されています。そんなわけで、チコは2002年には「アメリカの小さなアートタウン、トップ100」に選ばれてもいます。

 

 

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▲ サクラメント・リバー(2006年撮影)。

 

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▲ イースト・ハンプトンのアカボナック・クリーク(2008年撮影)。

 
 ポロックの家があったサクラメント・アヴェニューをしばらく西に行くと、サクラメント・リバーにぶつかります。ポロック家の子どもたちは、夏には時折ここまで足を伸ばして水遊びを楽しんでいました。
 私が2006年にサクラメント・リバーを訪れた時、どこかすでに見知った場所であるような感覚を覚えました。すぐに気づいたのですが、ポロックが人生最後の10年を過ごしたニューヨーク州イースト・ハンプトンの彼の邸宅の近くにある川のような入り江、アカボナック・クリークになんとなく雰囲気が似ていたのです。だとしたら逆に、ポロックがイースト・ハンプトンにやってきてアカボナック・クリークを目にした時には、かつて彼が少年時代を過ごしたチコのサクラメント・リバーを思い出したのではないでしょうか。ポロックは、1946年に描いた一連の8点の絵画(ex. 《ティー・カップ》:「生誕100年 ジャクソン・ポロック展」出品予定。画像=http://www.museum-frieder-burda.de/typo3temp/pics/8ca6c719c2.jpg)を、その入り江の名前を取って「アカボナック・クリーク・シリーズ」と名付けています。そのことからも分かるように、彼はその入り江を気に入っていましたが、それにはチコのサクラメント・リバーの思い出も重ねられているような気がします。

 (T.O.)

 

愛知県美術館で開催していた「カンディンスキーと青騎士」展は、4月17日に終了しました。
多くのお客様にご来場いただき、ありがとうございました。


中日新聞と共催した「カンディンスキーと青騎士」展では、東日本大震災の被災地へお送りする義援金のための募金箱を設置していました。


短い期間ではありましたが、ご来場のお客様から多くの義援金をいただき、その総額は93,677円にのぼりました。
ご協力いただいた皆様に、心よりお礼申し上げます。


この義援金を、中日新聞社会事業団を通じて被災地にお送りするため、同事業団さんにお渡ししてきました。

 

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▲中日新聞社会事業団の義援金受付


皆様から集められた募金が被災地の方々のために役立てられ、被災地が一日も早く復興されることを祈っております。(S.S.)


今後の募金について:
このたびの震災では、文化財や美術館も被害に遭いました。
愛知県美術館では、それらの文化財を守り、保全してゆくために使用される義援金の募金を行うことを予定しています。
詳細については決まり次第、お知らせいたします。