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3万人達成!!

2011年08月22日

最近少し涼しい日もありますが、それまでは暑い日が続きました。
そのように暑い日が続くなかでも、たくさんの方に「棟方志功 祈りと旅」展へ足をお運びいただいております。
ありがとうございます。

そしてついに8月21日には入場者数が3万人を超えました!!

 

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3万人目となられたのは、蒲郡市からお越しの榊原公平さんでした。
当館館長からの記念品をご家族とともに受け取られ喜んでおられました。

 

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その日はテレビ局も取材に来ており、3万人達成の様子はその日の夕方には
お茶の間に届けられました。

 

プーシキン展の中止から緊急開催となった本展覧会は、それほど広報に時間を割くことができなかったのですが、

すでに3万人以上の方にご覧いただくことができ、非常にありがたいことと感じております。

新人学芸員としては愛知県美術館がいかに皆様に愛されているかを感じると共に、

先輩方が築き上げたものを引き継いでいけるようがんばりたいと思います。

 

今後も島田章三展、ジャクソン・ポロック展と魅力的な展覧会が続きますので
引き続き足をお運びいただければと思います。

 


最後にお知らせです。

 

朝日新聞のインターネットサイト【アサヒコム】に「棟方志功 祈りと旅」展に関する記事を集めたコーナーを
作成していただきました。

各界の著名人(片岡鶴太郎さん、山本容子さん、矢野きよ実さんなど)に棟方についてインタビューした記事など

棟方志功の魅力をより深く知っていただけるかと思います。


どうぞ一度覗いてみてください。

 

【アサヒコム】
http://mytown.asahi.com/aichi/newslist.php?d_id=2400086

 

(Y.H)

さて、前回も所蔵作品展の魅力についてお話したこのコーナー。

今回、「棟方志功 祈りと旅」展と同時開催の所蔵作品展も、やっぱりおまけなんかじゃない(!?)充実のラインナップとなっています。


 見どころの一つは5室で行われている特集「フランス美術の流れ」でしょうか。
所蔵作品と寄託作品によって、印象派、エコール・ド・パリなどフランス美術をご紹介しております。展示されている作家の名前をあげさせていただきますと、モネ、ロートレック、モディリアーニ、マティス、デュフィ、ピカソ、シャガール、藤田嗣治などなど・・・。予想以上に豪華な面々と感じた方も、少なくはないのではないでしょうか。

とりわけ当館に寄託されているマルク・シャガールの《オペラ座》(1953年)は、この機会にぜひご覧頂きたいものです。舞台が終わっても夢覚めやらない私たちの前へ、白いバレリーナがひらひらと舞い出てきます。シャガール独自の幻想的な幸福感がたっぷりと味わえる本作品、実物はどうぞ所蔵作品展でご覧ください。

 

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↑左がシャガール《オペラ座》。右はアンドレ・ボーシャン《フィアンセを訪ねて》。


また、所蔵作品についてもっと知りたい方に朗報です!

当館では所蔵作品展について学芸員がお話する「コレクション・トーク」というイベントを定期的に行っています。
9月2日には副田学芸員が「とても不純で矛盾な絵画」と題しましてミロやエルンストなどシュルレアリスムの絵画について語る予定です。

夜6時からのスタートとなりますので、お仕事帰りの方もお気軽にご参加くださいね。


(F.N.)


 愛知県美術館の「生誕100年  ジャクソン・ポロック展」、本日8月11日より、ポロック展公式ウェブサイト上ほかで前売券オンライン販売開始です! それぞれ当日券価格から200円OFFの、一般前売券=1,200円、高大生前売券=800円です。さらにお得な早割ペアチケットもあります。一般2枚組(切り離し使用可)=2,000円。

 

 今日、8月11日はポロック展スタート(11月11日)のちょうど三ヶ月前。そして、たまたまポロックの命日でもあります。(ここからは、いつもの「ポロックの足跡を訪ねて」風に・・・)

 

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▲ ポロックの死亡事故現場(2003年撮影)。右側の木の幹には、花輪が二つ捧げられています。

 

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▲ ポロックが自分の運転する自動車で死亡事故を起こした時に履いていた靴の片方(本物)。その隣のホイールカバーの方は、ポロックの愛車に付いていた本物ではありませんが、それと同タイプのものです。この靴とホイールカバーのセット(ポロック=クラズナーハウス・アンド・スタディセンター蔵)は、今回のポロック展に参考資料として出品予定です。

 


 1956年、55年前の今日、ポロックは飲酒運転による自動車事故で命を落としました(享年44歳)。現場はイースト・ハンプトンの自宅まであとわずかのところ。これまで何度となく走って勝手知ったる道だったはずですが、ハンドル操作を誤って木立に突っ込み、車は横転。即死でした。

 

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▲ ポロックの墓(2008年撮影)。

 

 ポロックの遺体は、イースト・ハンプトンの「グリーンリバー墓地」に埋葬されました。今でもこの墓地は残っていて、ポロックの墓は小高くなった特別な一角にあります。妻のリー・クラズナーは1984年に亡くなりましたが、クラズナーもグリーンリバー墓地に埋葬されました。

 

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▲ クラズナーの墓(2003年撮影)。ポロックの墓のそばにあります。


 このグリーンリバー墓地は、普通の墓地ではありません。ポロックとクラズナーの住んだイースト・ハンプトンは、他の芸術家や批評家、詩人などにもゆかりの深い土地だった関係上、それらの人々の墓もここには多くあるのです。

 

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▲ 右:「アメリカのアクション・ペインターたち」(1952年)という論文で有名な批評家、ハロルド・ローゼンバーグの墓(2008年撮影)。左:ローゼンバーグの妻の墓。

 

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▲ 抽象表現主義の画家、アド・ラインハートの墓(2008年撮影)。

 

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▲ 同じく抽象表現主義の画家、イレイン・デ・クーニング(ウィレム・デ・クーニングの妻)の墓(2008年撮影)。


 私も亡くなったらぜひこのグリーンリバー墓地に墓を建ててもらいたいと、まだ存在せぬ私の子孫に対して勝手に願っている次第です。それはさておき、今回のポロック展では、ポロックの住んだイースト・ハンプトンをご紹介するDVDを制作し、展覧会会場で流す予定です。そのDVDの素材撮影に近々行ってきますが、その際、このグリーンリバー墓地の様子も撮影してくるつもりです。どうぞご期待ください! (T.O.)

 

7月最後の週に博物館実習を行いました。これは学芸員資格を取得するための課程の一つで、当館では毎年10人ほどの学生を受け入れています。実習の全体像については2009年8月14日の当ブログでM.F.学芸員がレポートしていますが、今年も5日間のみっちりと詰まったプログラムが組まれ、地震対策と文化財レスキューについての講義も加えられました。

3日目の実習「作品の展示と照明」は、私を含め3人の学芸員が担当しました。
まずは作品の配置から。学生を3班に分けて、8点の版画(カンディンスキー×2、ココシュカ×3、ファイニンガー、キルヒナー、コルヴィッツ)の配置を班ごとに考え、壁に立てかけてもらいました。

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各班で配置結果は違いますが、同じ作家のものをまとめたり、多色刷りと単色のものを分けたり逆に組み合わせたり、壁全体での作品の大きさのバランスを考えたりと、さまざまな意図が表れていました。学芸員からは「隣り合う作品に描かれた人物が背中合わせになるよりも、向き合った方が落ち着いて見えるよ」とか、「部屋の隅ではそれぞれの壁際の作品を観る人がぶつからないよう、どちらかを広く空けるとよい」といったアドバイスをしました。

照明については、スポットライトの照射角などについて説明後、コルヴィッツの彫刻《恋人たち?》にいろんな角度から光を当てて見比べました。
彫刻の照明にあたっては、その作者が描いた素描や版画などを参考にできることがあります。コルヴィッツの版画では、闇の中で人の頭や手だけが光で浮かび上がったり、複数の人物たちが影を共有することで結びついたりしているような表現がよくみられます。この《恋人たち?》でも、そんな照明をめざしてみることにします。

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     コルヴィッツ《母親たち》 1921/22年            《左を向いた横顔の女性労働者》1903年

                 005展示実習写真 015.jpg 《恋人たち?》1913年

二人の頭部や女性の腕などはかなりいい感じ。ライトをもっと作品の真上近くに寄せて少し右に振ってやれば、二人の身体が影の中でより一体化し、恋人の顔を抱き寄せる男性の指の表情も出ることでしょう。
皆さんも時には絵の配置や照明などにご注意されると、美術館の楽しみ方が増すかもしれませんよ。

実習生の皆さん、お疲れ様でした。(T.M.)
 

少し遅くなりましたが、7月23日(土)に行われた棟方志功展記念講演会「棟方志功と青森」について、ご報告します。

講師としてお招きしたのは、青森にある棟方志功記念館の館長補佐、武田公平氏です。

 

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今回の展覧会は、「東北復興支援特別企画」として開催されていることから、テーマも本展の主旨とぴったりです。

講演では、棟方の生い立ちや画業、そして津軽をテーマにした作品について様々なエピソードを盛り込んでお話していただきました。


そのお話の中で、個人的に特に心に残ったエピソードをご紹介。

それは「オモダカ」という草花と棟方の出会いです。

オモダカについては以下をご参照ください。

(→Google 画像検索


三枚の花びらの白い小さな花が咲くオモダカ。

小学の頃、棟方は転んだ傍らにこの小さな花を見つけました。花の美しさに感動した棟方は、この素朴な美しさを表現するために絵を描こうと思ったそうです。

武田さんは、「視力の弱かった棟方にとってオモダカの存在はなかなか気づきにくい。偶然転んで発見したオモダカの小さな存在が、棟方を画家へと導いた。こうした偶然が起こらなければ、棟方がこれほどに偉大な芸術家になっていただろうかと想像すると、人生とは不思議なもの」と述べられていました。


小学生の棟方が小さな花に感動している様子を想像すると、なんともほほえましいですね。

その姿は、版画家としてのひたむきな制作にもつながっているような気がします。


そして、この講演会の最後にも東北復興支援のための募金へのご協力をお願いし、24820円集まりました。ご協力ありがとうございました。

皆さまのあたたかい想いが東北に届きますように。

(MR.M.)

 東北復興支援特別企画「棟方志功展祈りと旅」展のギャラリートークがありました。

この日は夜間開館(午後8時まで)のある日なので、夕方の6時30分から40分ほど担当の学芸員が会場で主な作品(残念ながらすべてではありませんが)についてのお話をするものです。

企画展のときはいつも会期中に数回開いています。

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 写真のようにこの日は、大変多くの聴衆が来られました。あまりたくさんで話をしている担当学芸員が見えないくらいです。彼がロビーに出る前から、このギャラリートークを目当ての方が何人も待たれていました。たいへんありがたいことで、話す方も力が入ります。最後に拍手までいただきました。

この展覧会中のこのあとのギャラリートークは、8月6日と20日の土曜日それぞれ午前11時からありますので、ぜひお越しください。

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 ついでながら棟方志功のことで、つい最近知ったことをお伝えします。

棟方好きはご存知のことかもしれませんが、棟方を「世界のムナカタ」と呼ばれるようになったきっかけとなったサンパウロ・ビエンナーレ(1955)とヴェネチア・ヴィエンナーレ(1956)の両方に出品された《二菩薩釈迦十大弟子》の版木のことです。そう版画を刷るために彫られた板のことなんです。この作品はビエンナーレに出品された戦後に彫られたものではなく、戦前に作られたものでした。東京の代々木山谷に住んでいた棟方家は昭和20年3月の末に戦火を避けるために富山県福光町に疎開しました。しかし、彫られた版木も含めてすべての家財を残したままでした。志功の妻チヤは一旦福光町を後にして東京へ戻り、一ヶ月以上も荷物の梱包や発送の手配をしたそうです。5月になってもなかなか戻らない妻に志功は長文の手紙で、自分も子供たちも待っているので福光町にはやく来るように書き送りました。それに促されて妻が東京を後にしたのは5月24日でした。その翌日25日は東京に大規模な空襲があり、棟方の家も防空壕に入れてあった版木や作品も燃えてしまったそうです。 

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↑ 《二菩薩釈迦十大弟子》 


 送り出した荷物も大半がまだ駅にあって燃えてしまったということです。120個ほど送ったうちでかろうじて20個近くだけは無事に福光町に届きました。その中に志功が大切にしていたイギリス製の椅子があり、その椅子を梱包していたのがなんとあの釈迦十大弟子の版木だったのです。二菩薩の版木のほうは燃えたのですが、偶然の事ながら先に発送した椅子とその梱包材となっていた十大弟子の版木は無事でした。このことが戦後の棟方の活躍につながったということもいえそうですね。

戦渦を生き延びた作品が今こうして愛知県美術館の展示室で見られるというわけです。

(S.T.)