2014年09月123456789101112131415161718192021222324252627282930

 今期のAPMoA Project, ARCH、末永史尚「ミュージアムピース」では、当館のコレクションに付けられた額縁をテーマにした展示を行っています。この展示についてのお話は、会場で配布しているリーフレットをご一読いただくとして、ここではリーフレットに書ききれなかった額縁をめぐるアレコレのお話をしたいと思います。

 油絵具で描かれた多くの絵画は、物理的には布や紙といった薄っぺらなものを「□」か「田」のようなかたちの木枠にピンと張って、そこに絵具が載っているだけ、という大変壊れやすいつくりをしています。額縁はこのような絵画をがっしりとホールドしてくれるので、絵画を現在の状態で保つためにはとても有用です。同時に、額縁は絵画を取り囲んでいるものなので、絵画を見るうえで否応なく目に入ってきて、よくも悪くも絵画の鑑賞に干渉してきます。ちなみにこの干渉は、日本画の軸装だともっと強いものになります。というのも軸の場合、絵画の部分(本紙)の面積よりもそれ以外の表具の部分の方が面積が広いことがざらにあるからです(もちろん面積の多寡だけで干渉の強弱が決まるわけではありませんが…)。ちなみに、今期の木村コレクションの特集展示では、「表具—掛軸の美—」と題して日本画のコレクションのなかから変わった表具を集めて展示しています。

 ところで、絵画というものはよく窓に例えられることがあります。そうすると額縁は窓枠ということになります。窓から見える景色は(当たり前のことですが)見えない部分も含めた広大な景色のなかから四角形に切り取られた一部分です。これを絵画に戻して考えてみると、絵画の世界は額縁の向こう側にあって、額縁に隠れた部分やその外側にも本当は広がっているんだ、ということになりますよね。もちろん現実には絵画はそこで途切れてしまってそれ以上の部分は存在しないわけですが、絵を見る私たちの想像力は、絵の外側の世界を補う力を持っていることもまた事実です。言い換えれば、額縁はそのような私たちの想像力をかき立て、助けてくれる存在でもあるわけです。

 ですが、全ての額縁が常にそういった想像力に対してプラスに働くというわけではありません。例えば、当館のコレクションのひとつ、モーリス・ルイス《デルタ・ミュー》は、購入時についていた金縁を、数年前に取り外すことにしました。その時の様子はこのブログの別の記事でご紹介しています(モーリス・ルイス 《デルタ・ミュー》 の秘められた部分が露わに!|愛知県美術館ブログ)。ここで「広々とした感覚を害してしまっている」と書かれているように、額縁が絵画の世界の広がりを阻害してしまうこともあるのです。当館では他にも、パウル・クレー《蛾の踊り》やジョアン・ミロ《絵画》の額縁が、保存の観点から不十分な構造である上に、見た目にも作品とうまくマッチしていないという判断によって、新たにデザインし直した経緯があります。また、現在展示室7で展示中の志賀理江子〈螺旋海岸〉シリーズも、あいちトリエンナーレ2010/2013ではパネルにプリントを直貼りしたかたちで展示されていた作品ですが、昨年度当館のコレクションに加わった際には、保存のことを考えて新たに額装を行いました。さらには、やはり近年コレクションに加わったゴーギャンの表裏の作品《海岸の岩/木靴職人》についても、すでに何度か展示はしておりますが、やはり保存上の問題と見た目の問題から、現在進行形で額縁の付け替え計画を進めています(志賀とゴーギャンの額装については、それぞれ直接担当している学芸員が詳しいブログ記事を書いてくれることでしょう、きっと)。

frame001.JPG
▲ クレーの額のためのラフ(すぎる)スケッチ(左)/ミロの額の仕様(右)

 額縁と絵画との関係の良し悪しは、なかなか一概に判断するのが難しいところがあります。ですので、私たちは新たに額縁を作らねばならないときは、画家がどのような額装を望んでいたか、描かれた当初に流行していた額縁はどのような形状か、同じ画家の別の作品はどのような額装がなされているか、などについて可能な限りリサーチした上で、保存と見た目の両方の観点から最善の額縁を探ろうと日々努力しています。
(KS)

展覧会はその時、その場でしか体験できませんが、カタログは後まで残ります。そこで考えた「これからの写真」のカタログコンセプトは、読み物として充実させること。出展作家の解説・作品画像以外のコンテンツも充実させ、展覧会を見ていなくてもカタログ単独で楽しめる本を目指したのです。そういうわけで、今回はカタログのお勧めポイント等を勝手ながら紹介します。

〇参考文献
今回は「写真について学びたい人」向けの参考文献一覧を付けてみました。というのも、私が大学に入って美術の勉強を始めようとしたとき、さて、何から読んだら良いのか分からん…という事態に直面したためです。インターネット等で「美術」「アート」と検索すると、もう古今東西の本や言葉が山ほど出てきますね。勉強する以上、年代順に最初から学ばなくちゃいけないのか、となると、洞窟壁画からで!?ギリシャ哲学から!?となってしまうわけです。
そこで、今回のカタログでは、写真に関する学術書を整理して紹介文とともに掲載しています。オーソドックスな写真史、スーザン・ソンタグやロラン・バルトなどの写真論はもちろんのこと、ファッション写真や報道写真といった社会の中での写真の位置づけについても目を走らせつつ、デジタル以降の動向もおさえる!それぞれの領域、分野ごとにおすすめの本が載っており、それらの紹介文をまとめて読むだけで、写真研究の現在がマッピングもできてしまいます。参考文献は、関西で写真の研究をしている林田新さんを中心に編集していただきました。
 

iro_kousei.jpg

↑あまり関係ないですが、色校正の様子。鈴木さんとは、夜の12時にセブンイレブンの前で待ち合わせて色校正をしたのでした。スポンジ一つ一つの色を確認する作業…。

 

〇写真関連年表
人間は、地図を見るのが好きな人と年表を見るのが好きな人に分かれると聞いたことがあります。私は断然、年表派です。とりわけ、一見すると無関係な出来事が同時期にそれぞれ起きているのを眺めるのが好き…。
また、芸術としての写真は、写真全体からするとごく一部で、それ以外の多様な目的のもと、日々、大量に生み出され眺められています。そこで、芸術写真以外の社会の変遷も視野に入れた年表にしました。この難事業を主に進めてくださったのは、写真研究家、冨山由紀子さんです。
川内倫子と松江泰治の両氏が木村伊兵衛賞を受賞した2001年、Google社が日本法人を設立してブロードバンドも普及。その年に横浜トリエンナーレがスタート。とか、土門拳賞を土田ヒロミが受賞していた2008年に秋葉原通り魔事件で監視カメラの設置が進んだ、等々、改めてみると発見がたくさんあります。

なお、最初、冨山さんが作ってくださった年表は、プリントするとA3にして12枚以上におよぶボリュームで、ページのレイアウトを担当したデザイナーの見増勇介さんも頭を抱えてしまい、泣く泣くみんなでデータを削りました。

catalogue.jpg



文字通り、関係者の汗と涙といろいろなモノの精華であるこの一冊、ぜひ、皆さんも手にとってみてくださいね。

(なお、芸術文化センターではネットによる販売はしていません。名古屋には足を運べないけど郵送で購入希望の方は、052-971-5511(愛知芸術文化センター代表)にお電話いただき、「写真展のカタログ購入希望」とお伝えください。担当部署までつないでくれます。そして、最後がテレフォンショッピングな〆方ですみません…)。

 (F.N.)

空前絶後の熊谷守一展

2014年09月11日

残酷なまでに暑かった夏をようやく乗り越えて、すっかり秋めいてきましたが、皆さんは如何お過ごしでしょうか。私の方はというと先日、岐阜県美術館でオープンしたばかりの「熊谷守一展」を拝見してまいりました。

 

当館からも木村定三コレクションの作品が多数出品されている関係で、初日の開場式にお邪魔してきたのです。熊谷守一といえば岐阜県にとっては、山本芳翠と並んで極めて重要な地元出身の洋画家。当然多数の関係者がつめかけた開場式は熱気に包まれ、古川館長の最初の挨拶からして気合が入っています。曰く10年以上前から、誰も見たことがないような、熊谷の展覧会をいつかはやりたいと考えており、今回それが実現した。出品点数が400点を超える展覧会は空前絶後である、とのこと。これを聞いたときに、何か運命めいたものを感じました。

 

というのも、熊谷の生誕100年を記念した展覧会図録の中で、木村定三氏は今後自分のコレクションはどこにも貸し出さない、故にこの展覧会が絶後の遺作展である、という主旨の言葉を書いているからです。それから20年以上を経て、木村定三コレクションが当館に寄贈され、今やその作品が多くの人の目に触れることになったのは周知の通りです。その中でも80点以上(まさしく空前の規模!)の木村定三コレクションが貸し出された今回の展覧会が、時を超えて二つの「絶後」を結びつけたということに感慨もひとしおです。

 

また岐阜新聞社の杉山名誉会長は、2012年に岐阜県美術館のシャガール展が大成功を収めた頃から、2014年にも何か大きいことを、という思いで企画を進めてきた、と挨拶されていました。それでふと思い出したのが、シャガールも熊谷守一も同じく97歳でこの世を去った長寿の画家だったという事。同じ年に立て続けに長寿画家の展覧会に関わった偶然に、我ながら少しおかしくなりました。ちなみに梅原龍三郎と中川一政も同じく97歳まで生きたそうです。…ハッ!…ということは…!?(かようにしつこく長寿ネタを披露しているのは単なるトリビアではなく、次回のコレクション展の「夭折の画家」特集へのカウンター的ステマだったりします)。

 

出席者の中には県議会の議長もいらっしゃって、この展覧会をもって岐阜の文化振興に寄与したい旨の言葉もありました。熊谷守一の父親、孫六郎がかつて同じ県議会議長を務めたことを思えば、この言葉もまた重みを増してくるように思いました。などと、普段はオープニングにうかがっても聞き流している関係者のご挨拶ですが(ちょっとちょっと!)、展覧会をお手伝いをさせて頂いたこともあって今回は聞き入ってしまいました。

 

IMG_1036.JPG

 熊谷守一のご息女、熊谷榧さんもご出席。

 

さてテープカットが終わり、会場へ足を進めようと思いますが、人が多すぎて中に入れません。なのでまずは、所蔵品展示から先に見始めます。こちらは先頃《裸婦》が重要文化財に指定されたばかりの山本芳翠の絵が多数展示され、さながら特集展示のよう。他にも藤島武二、長原孝太郎、青木繁、藤田嗣治など、熊谷と関係の深い画家の作品が並んでいました。

 

展示写真02.JPG

 展示室入ってすぐの初期作品コーナー。

 

ようやく熊谷守一展の会場に入ると、いきなり木村定三コレクションの《朝の日輪》がお出迎え。おお。その後も要所要所で、木村定三コレクションの名品が展覧会を彩っていて誇らしくなるとともに、自分の中で確立させた熊谷守一像に従って、厳格に作品を収集していった木村定三氏の目利きに改めて恐れ入る思いでした。また、それにも増して《母の像》や《熊谷萬病中図》、《ヤキバノカエリ》など、主要な所蔵品を軸にして熊谷守一の死生観に迫っていく展示構成には、作家への深い理解と収集活動が一体となった岐阜県美術館の実力を感じずにはいられませんでした。

 

展示写真05.JPG

 当館木村定三コレクションの猫は下絵(トレース紙)と一緒に。

 

作品数の充実は、会場で様々な気付きがもたらされることを意味します。今回の展示では、1930年代に描かれた様々な裸婦像がグリッド状に配置されたコーナーや、1960年前後に描かれた裸婦がまとめられた壁面などに、特に目を見張りました。前者では同じ裸婦というモチーフながら、絵具によるドローイングのように、異なる表現方法を試行錯誤した跡がありありと見て取れます。また後者では、グリーンとオレンジという色の対比を用いた背景の平面構成に、この時期の画家の関心があることが伝わってきます。これらはそれぞれの時代や主題ごとの作品を、点ではなく面で見せることによって浮かび上がってくる成果と言えるでしょう。

 

また木村定三コレクション以外では、来年秋に画家の故郷にオープンする予定の、熊谷守一付知記念館準備室が所蔵する作品が出品されていました。開館前の今のタイミングだからこそ、集めることの可能だった出品内容といえると思います。単純だけれどもそれだけに奥が深く、一点一点の鑑賞に時間のかかる熊谷作品。それがこれだけ集められているのですから、どうか十分な時間を予定に入れておくことをおススメします。なんといっても他のお客さんから、「えーっ、まだあるのー?」という驚きの(あるいは歓喜の)声が聞こえてきたくらいですから!!

(TI)

デュフィ展は現在あべのハルカス美術館に巡回中。そして当館でも約1ヶ月後に始まるこの展覧会のために、色んな準備が進んでいます。かわいいサポーターもがんばってくれています。FacebookTwitterに頻繁に登場していますので、ぜひ会いに来てくださいね。

さて、前回の記事では、デュフィ展をやろう、と決定したところまでを書いてみました。今回は、展覧会をどんな内容にするか考えたり、その実現のためにフランスの美術館と行ったやり取りについてお伝えしようと思います。

デュフィという画家は日本ではとても人気があり、過去に何度も展覧会が開催されています。その中で特に規模が大きな展覧会としては、「デュフィ回顧展」(国立西洋美術館・京都国立近代美術館、1967-68年)、「ラウル・デュフィ展 海と音楽―そしてパリの情景」(Bunkamura ザ・ミュージアム他、1994年)、「ポンピドーセンター所蔵 デュフィ展」(宇都宮美術館他、2001年)という3つの展覧会が挙げられます。一つ目の展覧会は日本で初となるデュフィの展覧会であり、フランスの研究者が監修となって行われた規模の大きなものでした。2つ目の展覧会は音楽や海、パリの街を描いた作品を中心に構成され、3つの目の展覧会はポンピドゥー・センターのコレクションによる展覧会でした。

これらの過去の展覧会のカタログを眺めながら、今回の展覧会でどんな新しいデュフィ像が示せるだろうか…と考えていたところ、ポンピドゥー・センターのコレクション展に掲載されていた「デュフィ、『線表現』豆辞典 アラベスクからジグザグまで」(青木理著)に目が止まりました。誰もがデュフィの鮮やかな色彩にばかり目を奪われ、「色彩の魔術師」などという呼称も定着しているのに、この豆辞典はデュフィの線描の多様性に目を向けた非常に稀な興味深い資料でした。この辞典でまとめられているようにデュフィの線描は多様で表現豊かでありながら、その部分には今まであまり目を向けられていないことに気づかされ、この点を展覧会の一つの核にしようと思いました。
 

写真1(0903).jpg

↑デュフィ「線表現」豆辞典 デュフィの線描の種類を23項目に分けて解説した、マニアックかつものすごく面白い内容!展覧会自体は油彩画のみで構成されていたので、この豆辞典でまとめられたデュフィの線描の魅力は今期の展覧会でぜひチェック!
 

こうして、展覧会の基本構造としては、前回のブログでも触れたように、デュフィの特に初期の制作過程がきちんと示せることと、デュフィの線の表現を掘り下げることを決めました。

上の2点を踏まえて、次にドリームリストを作成しました。この作業が展覧会の準備の中で一番楽しい!という学芸員もいるほどで、まずは自分勝手に制限もなく展示したい好きな作品を選びながら、リストを作成していくわけです。このとき参考にしたのは、2008年にパリ市立近代美術館で開催されたデュフィの大々的な回顧展です。世界中からデュフィの主な作品がこの展覧会に集結し、余談ですが、実は当館の《サンタドレスの浜辺》も出品されたのでした!この大規模な展覧会はパリでかなりの人気を博し、美術館前には(普段並ぶことが大嫌いな!?)パリジャン達が長い列を作ったそうです。


本国での過去最大となる展覧会ほどではないですが、最大限の希望を詰め込んだ企画書とドリームリストが出来上がると、いざ!海外の美術館との交渉のスタートです。デュフィの作品は、デュフィ夫人の寄贈によりパリ国立近代美術館(ポンピドゥー・センター)に多数まとまってコレクションされており、ドリームリストでもこのコレクションの中から作品が多くセレクトされていました。

そこでまずは先輩から連絡先を教えてもらったポンピドゥーのキュビスム専門の学芸員宛てに、展覧会の趣旨を説明し、作品借用の可能性をうかがいたいという内容の手紙を書きました。前回のブログで取り出した2009年10月付けの手紙とは、まさにこの手紙のことです。ところが、いくら待っても返事が来ない!教えられたファックス番号やメールアドレスに何度連絡をとっても、なしのつぶて…(涙)このままでは展覧会の企画自体成立しないため、最終的に共催社のつてで、フランス在住のコーディネーターの方に直接電話で連絡を取っていただきました。私が送った手紙は秘書さんのところでくるくるとたらい回しにされていたようで、学芸員さんの手元にまで届いておらず、またその時は大変お忙しいとのことでした。結局、デュフィについて研究されているグラフィック・アート部門の学芸員クリスティアン・ブリアン氏をご紹介いただき、ようやく面談のアポをとることができたのでした。(ふう〜!)

ブリアン氏との初めての面談はとても緊張しましたが、つたないフランス語での説明を真剣に聞いてくださいました。リヨン美術館の学芸員だったブリアン氏は1999年にリヨンとバルセロナで開催されたデュフィの回顧展を企画され、パリに移られてからもパリ市美の回顧展に協力されるなど、デュフィ研究に取り組まれている数少ない研究者の一人です。またグラフィック・アート専門ということで、デュフィの線描の表現に関心を持ち、デッサンや版画などを重点的に展示したいというこちらの意向に大きく賛同してくださり、今回の展覧会のカタログにもデュフィのデッサン類について論文を寄稿してくださっています。ブリアン氏との最初の面談は無事終了し、最後に「これが最初の一歩ですね。よい展覧会をぜひ実現しましょう」とおっしゃってくださいました。

この時から2013年まで、ブリアン氏とは毎年出張の度に面談を行い、展覧会の準備の進捗を報告したり、内容について相談したりしました。最初はご自身がデュフィのデッサン類を展示する展覧会をフランスで行うために、こちらが希望した作品のいくつかは貸し出せない、と言われていたのですが、その展覧会の計画が頓挫したのでやはり作品を貸し出してあげると言ってくださったり、ラングルというフランスの地方の町で別のデュフィの展覧会を監修された時は、タイミングよく私も展覧会を見に行くことができると伝えると、ラングルの美術館の学芸員さんに連絡を取ってくださったり、展覧会に《電気の精》がないのは残念だから、晩年にリトグラフで複製されデュフィ本人がグアッシュで加筆した作品を展示した方が良いと言って、こちらのリストにない作品を提案してくださったりもしました。そして東京のBunkamuraザ・ミュージアムの開催に合わせてクーリエとして来日されました。展覧会準備の最初から最後までつきあってくださったブリアン氏は、オープニング・セレモニーのときに「おめでとう。良い展覧会になりましたね。」と言って、誰よりも喜んでくださいました。

 

写真2(0903).jpg

↑文化村ザ・ミュージアムでの《電気の精》の展示。美しい色彩がリトグラフとグアッシュで再現されています。展覧会にこの作品が出品されるのは初めてとのこと。


(MRM)