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芸術家はどこにいる?

2015年04月02日
 APMoA Project, ARCH vol.13伊東宣明の個展「アート」も会期がわずかとなりました。そこでここでは、新作《アート》について、制作の裏側も含め少しお話したいと思います。
 この作品は伊東宣明本人が日本各地を移動して少しずつ自画撮りを行い、編集で各場面を繋げると、「アートとは何か」という一つの壮大な語りが生まれるというものです。違う場所、違う時に撮影したものを繋げて一つの動画とする方法は、様々なPVなどで既にお馴染みのものです。例えば、こちらファレル・ウィリアムスの”HAPPY”
 しかも、アマチュアであっても、この撮影方法、編集方法を使えば、何だか楽しい動画が作れてしまう。動画投稿サイトで目にすることも多いかもしれません。

 伊東もこの方法にならって、様々な場所で撮影を行っています。北は青森の恐山、森美術館や国立西洋美術館、豊田市美術館等の施設内、そして直島行きの港まで、皆様もご存じの場所が登場するかもしれません。撮影にご協力いただいた皆様には、本当に感謝、感謝です。

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↑佐久島の浜辺にて。南川祐輝《おひるねハウス》で楽しむ方々を横目に撮影に励む。

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↑ヴィルヘルム・レームブルック《立ち上がる青年》の前にて撮影。レームブルックの彫刻がなんだか迷惑そう・・・。

 さて、このように伊東の映像は背景がくるくる変わるので、キャッチ―でとっつきやすく感じられます。しかし、語られる内容は「アートとは何か」という極めて壮大な問い。しかも、その問いに対して伊東は答えまで用意しています。それに対して「なるほど、なるほど。そうだったのか!」と納得してもOK。はたまた、露悪的な教養番組のパロディとして笑いとばしてもOK。
それにしても、美術館の展示室をめぐると「芸術とは何か!表現はどうあるべきか!アートとは何なのか!」という悩める声が聞こえてくるようです。愛知県美術館に並ぶ作品も、作り手それぞれが悩み奮闘した成果と言えるかもしれません。
けれども、反対に言うと、その悩み闘う姿に芸術家らしさを見出すという面もあります。「凡人には到達できない高みを目指して戦う」人物こそ、芸術家らしい、というわけです。THE 芸術家神話。そして、そんな人物が動画投稿サイトでセルフィーするとはいったい…!?
 映像内には、岡倉天心、高村光太郎など、日本の近代美術の成り立ちに貢献した人物や彼らの作品も随所に出てきます。彼らの唱えた芸術の理想を少し思い浮かべながら見てみてもいいかもしれません。
(F.N.)
 
 

 

会期も残すところあと僅かとなりました!今回は設立当初のロイヤル・アカデミーから現在まで続くその活動と、当時の様子をうかがい知ることが出来るエピソードをいくつかご紹介します。ロイヤル・アカデミーは芸術家による芸術家のための支援機関として1768年にジョシュア・レノルズを筆頭に設立されました。当時、芸術家は未だ職人的意味合いが強く、パトロンたちから注文を受けて作品を制作するという立場にあったのです。そこで、自立を目指した芸術家たちは一念発起し、時の国王ジョージ3世に芸術機関の設立請願書を提出しました。そこに目的として記されていたのは、芸術家たちが持つ才能を公表し、世評と励ましを享受できるような展覧会を毎年開催すること(後に年次展覧会と呼ばれます)、そしてイギリス初の美術学校を創立すること、この2つでした。フランスでは当時既にアカデミーが権威的な存在としてあったにも関わらず、イギリスではまだ芸術家が作品を見せるために展覧会を行う環境が整っていなかったことが分かります。当初は芸術家である34人の会員自らが運営する自治組織として創始され、250年後の現在もロイヤル・アカデミーが運営の指針として設定したこれらの活動は現在においても続けられているのです。

記念すべき第1回目の展覧会は1769年4月26日から約1カ月間にわたって開催されました。非会員でも出品を希望することが出来るのですが、当初136点だった作品数は1840年には1500点、1870年には3510点、1914年には11615点までに脹れあがっていきます。しかし、スペースには限りがあるため、実際には2500点ほどしか展示出来ないという状況があり、実質倍率はかなり上がっていたことが分かります
 

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↑ピエトロ・アントニオ・マルティーニ 《ロイヤル・アカデミーの展覧会》(1787)

出来るだけ多くの作品を展示するため、このように絵は天井まで敷き詰められていました。溢れんばかりに絵が飾られています!当然、天井に近づく程絵は見えづらくなりますから、会員による出品審査に通過しても、時に壮絶な場所取り争いが繰り広げられたそう。そこで、床から8フィート(2.4メートル)のところに額縁の下辺がくるように「ザ・ライン(The Line)」と呼ばれる線が引かれてありました。それは誰にとっても鑑賞しやすい場所という意味で、アカデミーが重要と考えた作品はこの線の上に配置され、また線から離れた場所に作品が飾られることは画家のプライドを汚される事でした。時には作品の位置をめぐって懇願や苦情が殺到したとか。作品の増加に伴い当然来場者も増え続け、1879年には39万1000人が来場するなど、年次展覧会は国民的人気を博した催しであったことが分かります。ここで販売される作品の売り上げは100%作家に渡っていたというから良心的。展覧会の収益から200ポンドは生活に困っている芸術家にあてがわれ、それ以外は運営費とされていました。

また締切に間に合わない、出品後も手を加えたいという作家が後を絶たなかったらしく、展示設営後、まとめて手直ししてもよいという日が予め設けられていました。仕上げ日という名目も込められていたので、「ニスの日(Varnishing Day)」と呼ばれるようになり、現在は内覧会を指す言葉として使われています。この期間には周囲の絵との関係性を考慮して、大幅に描きなおす画家もいたようです。特にカンスタブルとライバル関係にあったターナーは通常は3日間のところ、このために5日を要していたそう(もっと掘り下げると色々な人間模様が見えてきそうです…)。
   

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↑フランク・ルイス・エマニュエル《ロイヤル・アカデミーのニスの日》(1907)   

出品者が一堂に会すこの日は重要な交流の機会でもあったことがこの風刺画からも伝わってきます。ここにはラファエル前派の面々による絵画や、イギリス美術を代表する作品が出品されてきたわけです。かの有名なジョン・エヴァレット・ミレイの《オフィーリア》が初めて公開されたのも、この年次展覧会。しかし、そんなロイヤル・アカデミーも19世紀末には印象派のような外部から新潮流の風を受け、存続の危機を迎えたことがありました。しかし、反発する作家たちも最終的には会員として受け入れることで分裂を回避し、存続し続けて来たのです。ロイヤル・アカデミーが当初から掲げていた理念はその時1番の芸術作品を展示すること。では、現在は一体どのような作家がいるのでしょうか?
   
昨今の会員数は約80人。ここには、トニー・クラッグ、リチャード・ディーコン、アントニー・ゴームリー、ザハ・ハディッド、デイヴィット・ホックニー、アニッシュ・カプーア、ヴォルフガング・ティルマンス…といった現代美術ファンにとってはお馴染みの作家たちも多く含まれています。なんと、あいちトリエンナーレ2013に出品していたことで記憶に新しい、ボウリング・レーンを納屋端エリアに設置したリチャード・ウィルソン《Lane 61》や、ぺしゃんこにした楽器を展示したコーネリア・パーカー《無限カノン》も実はロイヤル・アカデミーの現会員なのです!(著作権の関係で写真を掲載出来ないのが残念です…)このように、設立当初は古典主義的であったロイヤル・アカデミーも、現在では様々なメディアを用いる先鋭的な作家たちによって支えられています。

イギリスにおける初の美術学校でもあったアカデミーは、数多の芸術家を輩出しています。現在は大学院のプログラムに特化していますが、授業も変わらず無料で行われ、現役作家である会員たちが教壇に立つことも続けられています。このように伝統を守りつつも、時代の変化に即して柔軟に発展を遂げてきたロイヤル・アカデミー。私自身も今回の展覧会を担当して初めて運営方法を改めて理解しましたが、250年間にわたり芸術家の制作をサポートする機関であり続けているのです。(N.O.)