2015年12月12345678910111213141516171819202122232425262728293031

 さて、前回お伝えしたとおり、長い道のりをへて無事に到着したピカソですが、このような長時間のフライトや移動を経た後は木箱をすぐに開けることはありません。「シーズニング」といって翌日以降までそのままにして環境になじませてから、木箱から取り出して移動中に何か変化がなかったかの点検するのです。着いた日は週末だったので翌々日に開梱、点検をピカソ美術館の保存修復の学芸員と一緒に行い、すぐに展示室へ移送して展示作業へかかりました。

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▲クレート(輸送箱)を開けたところです。

 ピカソ美術館は非常に古い建物を再利用した美術館なので、それぞれの展示室はさほど大きくはありませんが、展示された部屋はピカソ美術館の中でも中心的な展示室でそれも壁の真ん中に飾るところが用意されていたのでした。
 ほかの展示室の案内も含めて館長が丁寧に応対してもらい、作品を架けるフックや照明などそれぞれ確認をしながら展示作業は進められました。展示そのものはワイヤーで吊るタイプではなく専門スタッフが新しく塗り替えられて用意された壁に作品に合わせたフック用の穴を、日本製のドリル!であけ、盗難防止の留の付いたフックを使って高さや水平を調整しながら架けました。

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▲世界のマキタ!

 日本を出発する直前にピカソ美術館からは今回の愛知県美術館の作品をピカソ美術館で展示することについて取材依頼が来ているので是非対応してほしいとの連絡がありました。どんな取材になるのかと期待半分、不安半分だったのですが、実際にはバルセロナのあるカタロニア地方の地方紙の女性記者とスペイン全国紙の男性記者とカメラマンが来て展示の終わった作品を前にしてそれぞれ直接のインタビューを受けることになりました。《青い肩掛けの女》がどういった経緯でいつ収蔵したのか、愛知県美術館コレクションでの位置付けはどうか、来館者はどんな様子かなどについて尋ねられました。記者たちはスペイン語だったので、スペイン語の出来ない私のために、ピカソ美術館の館長に英語に通訳していただいてのインタビューとなりました。

 そのあとピカソ美術館のチーフキュレーターにピカソ美術館でこの作品を展示する意味やこの作品の重要性などを聞いていました。おかしかったのは、そのチーフキュレーターへのインタビューの様子を私が写真に撮ろうとしたら、そのまま動かないでくれとカメラマンが《青い肩掛けの女》を背にして私がカメラを構えている様子を撮影し、なんとその妙な写真が全国紙の紙面とウェブに載せられたのでした。 

 

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▲インタビュー中に撮影されました。

 

 このように《青い肩掛けの女》は現地でもニュースになる注目されることであったのです。愛知県美術館が1992年の開館に向けて収集を始めて最初の寄贈作品であったこの《青い肩掛けの女》は長年展示室で見慣れていてつい素通りしがちになっていたのですが、バルセロナでも注目される重要な作品であることを改めて感じさせられた出張になりました。この作品のおかげもあって今度の「ピカソ、天才の秘密」展にはバルセロナのピカソ美術館からは油彩と素描合わせて5点の作品が来日しています。もちろんの《青い肩掛けの女》もそれらと一緒に帰国して展示室に並びました。
 1月3日からの「ピカソ、天才の秘密」展にはバルセロナのピカソ美術館だけでなくパリのピカソ美術館やワシントンDCのナショナルギャラリーやフィラデルフィア美術館などからも名品が出品されています。是非ご来館いただければと思います。そして上記のような裏話を思い出しながら見ていただけると別の面白さもあるかと思います。

(S.T)

 ピカソ展を直前にして、9月にバルセロナのピカソ美術館へクーリエ(作品随行員)として出張したことをご紹介します。このクーリエ出張は201613日から始まる「ピカソ展、天才の秘密」展の準備の一環でした。というのはバルセロナのピカソ美術館との出品交渉をしている中で、条件として出てきたのが愛知県美術館所蔵のピカソ青の時代の名品《青い肩掛けの女》を貸してくれるならバルセロナから複数の作品を貸してもよいというものでした。美術館どうしの関係はお互いの信頼関係はもちろんのこと互いに借りたい作品を持っているのかといったことも影響し、展覧会の成否にも関わってきます。大前提としては、展覧会そのもののコンセプトが相手の館に理解されること、空調を始め保安上なども含め美術館の基本条件をクリアしていることなのですが、借り出しが難しいものを借りるためにはこうした条件が示される場合があるのです。

というわけで美術館の実力を測る物差しの一つには他館が借りたい所蔵品をいかに多く持っているのかがあるわけです。つまり優れた所蔵作品を持てば持つだけ美術館活動をやりやすくなります。もちろんの博物館の一種である美術館は作品を始めとする美術資料を収集し保存して後世に残していくという本来的な役目があるのですから常に収集し続けることが自明であることはいうまでもありません。ですから一定程度収集すれば展示室に並びきらないほど集めなくてもよいのではなどという乱暴な議論は美術館を単なるイベント会場として認識するような的外れなものです。
 
さてバルセロナへのクーリエ業務ですが、残念ながら観光旅行のような気楽なものではありません。日本からバルセロナへは直行便がないので、どこかで乗り継ぎをするかヨーロッパのハブ空港に降りて陸送するかしかありません。当初は乗り継ぎで行った方が時間的にも体力的にも楽なので、それを希望していました。しかし、最も早く行けるのはドバイ経由でしたが、作品の積み替えのことを考えると環境条件や安全性の点で不安があるということで、結果としてはパリまで直行し、パリからは陸送ということになりました。

まず、作品を入れた木箱を愛知県美術館から東京まで空調の効いた専用のトラックで7時間ほどかけて陸送し、一旦倉庫で一泊、翌朝7時前には再度トラックに積み込み羽田空港へ。貨物を積み込む専用の所で慎重にアルミ製の箱に木箱を梱包するのに立ち会ったのち自分は旅客ターミナルへ。パリまでのフライトはおよそ13時間、夕方についてトラックに積み替えパリ市内の専用倉庫へ入れて一泊し、再び翌朝の7時にバルセロナへ向けて出発。ドライバーは交代要員として併せて二人が乗車し、一人は後ろの席で仮眠が取れるようになっています。私は助手席にただひたすら座り続けて地図と対照しながら道々に現れる景色と道路標示に目を向ける事およそ14時間、その間わずかにトイレ休憩2回とごく短い昼食とガソリン給油のみで、6年ほど前に落馬で骨折した腰が再び痛みだしてしまいました。

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▲朝日が昇るとともに出発です。

 

日本を出発前に輸送業者からは所要時間を7時間ほどと聞いていたので、なんとその倍かかるとは大変な誤解でした。思えばパリからバルセロナまでの距離を確認すればとんでもない間違いだと分かったはずですが、トラックに乗ってからドライバーから所要時間を聞いたので、はじめは冗談かと思ったほどでした。 

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▲ガソリンスタンドで給油中

 

さて、フランスとスペインの国境にはユーロのマークがあるだけで特別なパスポートチェックのようなものは何もありません。ユーロ統合以降陸路で国境越えをしたことがなかったので、一応のチェックぐらいあるのではないかとこれも誤解していました。

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▲国境付近 

 

バルセロナ市内へ入った頃には当然夜になっており、景色を眺めるようなこともなく旧市街地にあるピカソ美術館へ到着。ピカソ美術館は路地に囲まれた中にあり、大きなトラックは直接近づくことはできません。路地の入口には警察官が待ち受けており、一般車の通行を一時的に遮断し、路地に駐車したトラックからの荷卸しを警護してくれていました。愛知県美術館のように4トントラックごと建物の搬入口へ入れるなんてことは到底できないわけです。スペインへ入ったころは少し雨模様でしたがありがたいことにピカソ美術館へ着いた時には雨は上がっており、小さな台車に乗せ換えた《青い肩掛けの女》の入った木箱を作業員が美術館まで運びます。美術館脇の小さな広場を囲む店先のテーブルには飲食を楽しむ人々がいて、その脇をガラガラと台車を押していくのを見るのは不思議な感じでした。そして、美術館内に入りエレベーターで収蔵庫まで運んだのでした。

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▲夜の搬入です。

 次回は美術館での出来事についてお伝えします!

(S.T)