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(前回の記事:プーシキン美術館展を振り返って(1)

 さて、巡回の第一会場となった愛知県美術館、大きな責任を負うことになってしまいました…。通常、大型の展覧会を巡回させる場合はまず東京など関東の会場からスタートさせ、全国ネットの広報によって情報がある程度浸透してから、地方の会場へと巡回させるのが一番効率的だと考えられています。ですから、延期前の予定では、横浜→愛知→神戸の順に組まれており、作品の輸送という点でも無駄がない理想的な順番でした。しかし、実際には延期を受けて当館が第一会場へと変更になり、さらに復活開催ということで展覧会としてのハードルも上がるなかで、この一大プロジェクト全体が成功するか否かが、まずは当館に重くのしかかったわけです。関係者の冷や汗の理由はここにありました。この重責をいかに乗り越えたのか、について、展覧会開催に至るまでの第二段階にあたる巡回会場での運営の仕組みに触れながら、書いてみたいと思います。

 愛知県美術館での企画展開催の方法には様々なバリエーションがありますが、多くの場合、美術館と主に新聞社やテレビ局などのメディアとが共同で事業運営にあたります。この運営組織を「実行委員会」と呼んでいます。今回の展覧会の場合、全体の運営は朝日新聞東京本社が行いますが、愛知会場の運営については、朝日新聞名古屋本社とメ?テレと当館とで行いました。展覧会全体の運営から各会場での開催まで新聞社やテレビ局が大きく関わるこのやり方は、日本独特のものです。日本では、欧米に比べて博物館や美術館の歴史が浅く、現在のような博物館・美術館が開館するまでは、新聞社がその情報収集能力と発信力とを活かしながら、文化事業に携わってきました。このような展覧会開催のノウハウの蓄積が、現在も新聞社と共同で展覧会を開催する際に活かされており、またメディアとしての情報の発信力も重要になってきます。

 その情報発信力が最大限に生かされたことが、今回の展覧会で大変多くの方にご来館いただく結果につながりました。同じように新聞社やテレビ局と実行委員会を組む場合でも、当館のスタッフが広報の役割を担い、展覧会グッズ開発からPRまでを取り仕切ることもありますが、プーシキン美術館展では、朝日新聞社名古屋本社とメ?テレのスタッフの方々が、従来のやり方や考え方にとらわれない斬新なアイディアで様々な広報活動を展開してくださったおかげで、担当学芸員は作品のディスプレイや展示作業、展示内容についてのレクチャーなど、本来の専門業務を中心に行うことができ、また事務スタッフも事務手続きをスムースに進めることができました。

 個人的に印象に残っている広報活動をいくつか挙げてみたいと思います。今回はSNSを最大限に活用して様々な展開が行われました。たとえば、展覧会開催一ヶ月前から毎日Facebookに出品作にまつわる選択式のクイズがイラスト付きで掲載された「教えてジャンヌ・サマリー」。このイラストは、てっきりSNSの運営を依頼した会社で制作されていると思い込んでいたのですが、何と絵の得意な朝日新聞名古屋本社のスタッフが描いていたそうで、これにはさすがにびっくりでした!

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△ロシアのコレクター、シチューキンの職業を質問するクイズのイラスト、独特なタッチがかわいい!

 また若い世代への働きかけを狙った「ナナちゃん衣装コンテスト」では、Facebookを通じてコンテストを行い、延べ何百人もの方が「いいね」を押してくださいました。最終審査に残った方々のデザインを見ながら、スタッフ一同どのプランにもデザインをした人の想いが込められているのを実感し、結局最優秀賞だけでなく、当初予定になかった特別賞まで設けてしまいました(笑)

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△デザインされたドレスを実際に着たナナちゃん、注目度抜群でした!

 朝日新聞名古屋版には、会期中ほぼ毎日のように展覧会の記事が掲載されました。出品作の解説が連日一面を飾ったのは前代未聞のことだそうで、担当者の方はこの記事のために毎回編集局からの深夜の問い合わせに対応しなければならなかったそうです。また、夕刊にも様々な切り口の連載記事が掲載されました。こうした記事を学芸員が書くと、作品解説ばかりのお堅い内容になってしまいがちですが、担当の記者さんは、額の歴史や動物のモティーフなど面白いポイントを見つけ出し、学芸員の解説や関係者の取材だけで記事にするのではなく、ご自身でも関連図書を探して勉強されるほどの熱心さでした。

 メ?テレでも、何度もプーシキン展のCMが流れていましたよね。展覧会のCMは大抵クラシック音楽をBGMに上品にまとめられることが多いですが、今回はアップテンポのポップスがバックに流れ、今っぽい感じに仕上がっているのが個人的にはお気に入りでした。ツイッターなどでも話題になっていました。

 このように、愛知会場の運営にあたった現場スタッフが連携を強め、チームワーク良く前向きに事業に取り組めたことが、展覧会の大きな成果につながったのだと思います。

 美術館に就職して間もない頃、先輩学芸員から「現場スタッフがチームワーク良く楽しんで仕事がやれると、嫌々やるより、ずっと良い成果が得られる。何かを生み出す仕事にはそうした要素が最も重要だ」と言われたのを思い出します。今回の展覧会を通じてその実感を強く得られたように思います。この展覧会に関わった多くの人々のかけがえのない努力と仲間のチームワークに感謝しつつ、そして皆様が作品との出会いを楽しんでくださったことに感謝しつつ、ちょっと長くなってしまったこのブログ記事を終えたいと思います。
ありがとうございました。
(MRM)

 12万人という多くの来場者を迎え、愛知県美術館でのプーシキン美術館は閉幕しました。展覧会最終日の翌週からスタートした撤去作業も無事終了し、今は空っぽになった白い展示室が、次の展覧会の準備を待っています。

 これまで展覧会を担当すると、貴重な作品を預かる責任やスムースな運営への配慮といったことに気を取られがちで、展覧会が終了してようやくほっとできる、ということが多かったように思います。しかし今回はなぜか、このブログを書きながら、スタッフの仲間とともに行った準備やイベントが思い出され、ちょっとさびしい気持ちと、この展覧会を担当できて良かったという気持ちで一杯になりました。延期を経てようやく開催することができたこの展覧会への想いは、関係者にとっては特に強かったのかもしれません。

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△プーシキン展最終日、多くの来場者でにぎわいました!

 展覧会が無事開催されるには、多くの人々の力が必要となります。そして、その過程は大きく二つの段階に分かれます。第一段階は、展覧会の全体を構成すること。第二段階は、その展覧会を各巡回会場で運営することです。まずは第一段階の展覧会全体の構成から、このプーシキン展の成り立ちについて書いてみたいと思います。

 プーシキン美術館展の場合、まず朝日新聞社東京本社によるこの展覧会企画を、横浜美術館、神戸市立博物館、愛知県美術館という3会場で受けることが決定したところから始まりました。作品の選定は、プーシキン美術館のセレクトをもとに、日本側からもリクエストを出しながら調整されました。

 プーシキンと日本の会場との間の連絡、作品の輸送などあらゆる運営は、全て東京の朝日新聞文化事業部の担当グループの方々が行いました。またショップのグッズ展開やプレスへの対応、著作権の処理、広報なども文化事業部の方々の仕事です。

 一方、各会場の担当学芸員は、展覧会の中身に関わる仕事を中心に行います。展示の構成、カタログや解説パネルの内容を決めたり、音声ガイドをチェックしたりします。こういった海外の美術館のコレクション展の場合、日本会場の学芸員が現地まで作品を事前に調査しにいくことはほとんどありませんが、今回の展覧会では、準備段階で横浜・神戸の学芸員さんとともに、モスクワとサンクトペテルブルクを訪ね、出品作の実見調査をさせていただくという貴重な機会に恵まれました。

 そして、2011年の開催予定直前、朝日新聞のスタッフも学芸員もカタログの校正や様々な準備に追われ、深夜や早朝にメールが飛び交うこともしばしばという状況が続いていました。展覧会開幕への大きな期待の中、スタッフの誰もが必死に準備を行い、モスクワでも作品が順調に梱包され、あとは搬出を待つだけ、という報告を受けていた最中に、東日本大震災と原発事故が発生したのです。

 当時、巡回の第二会場だった当館では、すでにポスターやチラシのデザインもほぼ確定し、後は印刷するだけ、という状況でしたが、とにかく一旦全ての工程をストップさせ、展覧会の開催の是非について、ロシア側の判断を待つことになりました。結果は周知のとおり、余震もおさまらない状況下で、ロシアの第一級の国有作品を輸送・展示するわけにはいかない、との決定が下りました。第一会場であった横浜美術館での開催中止が朝日新聞を通して公表され、その後朝日新聞のスタッフの方々は数週間ほぼ徹夜で様々な残務処理にあたったそうです。

 一方、展覧会の中止が告げられた当館では、空いてしまった会期をどうするかという相談がすぐに始められました。幸いにも、同じく朝日新聞社企画による、すでに他館で巡回が始まっていた「棟方志功展」を、予定の会期を延長して当館にも巡回できないか、という提案をいただき、結果的には有意義な展覧会を開催することができました。

 その間にも、プーシキン美術館との交渉は続けられ、展覧会の中止ではなく、なんとか2年の延期ということになりました。そして、横浜・神戸・愛知の各会場の会期の調整を行った結果、なんと当館が巡回の第一会場となってしまいます!成り行きとはいえ、この予想しなかった事態に、誰もが内心冷や汗をかいたと思われます(笑)

(冷や汗の理由については、次回の記事で・・・「プーシキン美術館展を振り返って(2)」に続きます!)
(MRM)