2015年04月123456789101112131415161718192021222324252627282930

会期も残すところあと僅かとなりました!今回は設立当初のロイヤル・アカデミーから現在まで続くその活動と、当時の様子をうかがい知ることが出来るエピソードをいくつかご紹介します。ロイヤル・アカデミーは芸術家による芸術家のための支援機関として1768年にジョシュア・レノルズを筆頭に設立されました。当時、芸術家は未だ職人的意味合いが強く、パトロンたちから注文を受けて作品を制作するという立場にあったのです。そこで、自立を目指した芸術家たちは一念発起し、時の国王ジョージ3世に芸術機関の設立請願書を提出しました。そこに目的として記されていたのは、芸術家たちが持つ才能を公表し、世評と励ましを享受できるような展覧会を毎年開催すること(後に年次展覧会と呼ばれます)、そしてイギリス初の美術学校を創立すること、この2つでした。フランスでは当時既にアカデミーが権威的な存在としてあったにも関わらず、イギリスではまだ芸術家が作品を見せるために展覧会を行う環境が整っていなかったことが分かります。当初は芸術家である34人の会員自らが運営する自治組織として創始され、250年後の現在もロイヤル・アカデミーが運営の指針として設定したこれらの活動は現在においても続けられているのです。

記念すべき第1回目の展覧会は1769年4月26日から約1カ月間にわたって開催されました。非会員でも出品を希望することが出来るのですが、当初136点だった作品数は1840年には1500点、1870年には3510点、1914年には11615点までに脹れあがっていきます。しかし、スペースには限りがあるため、実際には2500点ほどしか展示出来ないという状況があり、実質倍率はかなり上がっていたことが分かります
 

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↑ピエトロ・アントニオ・マルティーニ 《ロイヤル・アカデミーの展覧会》(1787)

出来るだけ多くの作品を展示するため、このように絵は天井まで敷き詰められていました。溢れんばかりに絵が飾られています!当然、天井に近づく程絵は見えづらくなりますから、会員による出品審査に通過しても、時に壮絶な場所取り争いが繰り広げられたそう。そこで、床から8フィート(2.4メートル)のところに額縁の下辺がくるように「ザ・ライン(The Line)」と呼ばれる線が引かれてありました。それは誰にとっても鑑賞しやすい場所という意味で、アカデミーが重要と考えた作品はこの線の上に配置され、また線から離れた場所に作品が飾られることは画家のプライドを汚される事でした。時には作品の位置をめぐって懇願や苦情が殺到したとか。作品の増加に伴い当然来場者も増え続け、1879年には39万1000人が来場するなど、年次展覧会は国民的人気を博した催しであったことが分かります。ここで販売される作品の売り上げは100%作家に渡っていたというから良心的。展覧会の収益から200ポンドは生活に困っている芸術家にあてがわれ、それ以外は運営費とされていました。

また締切に間に合わない、出品後も手を加えたいという作家が後を絶たなかったらしく、展示設営後、まとめて手直ししてもよいという日が予め設けられていました。仕上げ日という名目も込められていたので、「ニスの日(Varnishing Day)」と呼ばれるようになり、現在は内覧会を指す言葉として使われています。この期間には周囲の絵との関係性を考慮して、大幅に描きなおす画家もいたようです。特にカンスタブルとライバル関係にあったターナーは通常は3日間のところ、このために5日を要していたそう(もっと掘り下げると色々な人間模様が見えてきそうです…)。
   

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↑フランク・ルイス・エマニュエル《ロイヤル・アカデミーのニスの日》(1907)   

出品者が一堂に会すこの日は重要な交流の機会でもあったことがこの風刺画からも伝わってきます。ここにはラファエル前派の面々による絵画や、イギリス美術を代表する作品が出品されてきたわけです。かの有名なジョン・エヴァレット・ミレイの《オフィーリア》が初めて公開されたのも、この年次展覧会。しかし、そんなロイヤル・アカデミーも19世紀末には印象派のような外部から新潮流の風を受け、存続の危機を迎えたことがありました。しかし、反発する作家たちも最終的には会員として受け入れることで分裂を回避し、存続し続けて来たのです。ロイヤル・アカデミーが当初から掲げていた理念はその時1番の芸術作品を展示すること。では、現在は一体どのような作家がいるのでしょうか?
   
昨今の会員数は約80人。ここには、トニー・クラッグ、リチャード・ディーコン、アントニー・ゴームリー、ザハ・ハディッド、デイヴィット・ホックニー、アニッシュ・カプーア、ヴォルフガング・ティルマンス…といった現代美術ファンにとってはお馴染みの作家たちも多く含まれています。なんと、あいちトリエンナーレ2013に出品していたことで記憶に新しい、ボウリング・レーンを納屋端エリアに設置したリチャード・ウィルソン《Lane 61》や、ぺしゃんこにした楽器を展示したコーネリア・パーカー《無限カノン》も実はロイヤル・アカデミーの現会員なのです!(著作権の関係で写真を掲載出来ないのが残念です…)このように、設立当初は古典主義的であったロイヤル・アカデミーも、現在では様々なメディアを用いる先鋭的な作家たちによって支えられています。

イギリスにおける初の美術学校でもあったアカデミーは、数多の芸術家を輩出しています。現在は大学院のプログラムに特化していますが、授業も変わらず無料で行われ、現役作家である会員たちが教壇に立つことも続けられています。このように伝統を守りつつも、時代の変化に即して柔軟に発展を遂げてきたロイヤル・アカデミー。私自身も今回の展覧会を担当して初めて運営方法を改めて理解しましたが、250年間にわたり芸術家の制作をサポートする機関であり続けているのです。(N.O.)

今回は2月に行われた関連講演会の様子をお届けします。2月21日には本展覧会の図録も監修されている、一橋大学名誉教授の河村錠一郎氏による講演会「ロイヤル・アカデミーとシェイクスピア、そしてターナー」が行われました。

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会場の前には参加を希望するお客様で長蛇の列が出来ていた程の大盛況!今回、河村先生には英国美術と物語の関係性について語って頂きました。英国美術には、ある物語の一場面を取り上げたものが多く見受けられます。物語が様々な表現手段によって表象される一例として、まずシェイクスピアによる『ハムレット』のある場面をオペラと映画の両方で見比べました。その後、ターナーやカンスタブルといった出品作家における物語性を解説していただきました。また、ジョン・エヴァレット・ミレイによって描かれたことで著名な《オフィーリア》は、ロセッティやウォーターハウスといった画家たちも主題としていたという紹介がありました。先生が講演中に強調されていたのが、「History Painting」は歴史画ではなく、「物語絵画」と訳すべきであるということ。イギリスではピューリタン革命の影響によって偶像崇拝が禁止されたことから、聖書にまつわる宗教画が発達しなかったという背景があります。イギリス人にとっての物語である戯曲が絵画の主題とされたことから、イギリス美術と物語は切っても切れない関係にあることを改めて理解することが出来ました。 

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喜寿を過ぎているとは信じがたい、河村先生の流麗かつ力強い語り口調に観客一堂熱心に耳を傾け、あっという間に講演終了となりました。

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続く2月27日はウィリアム王子が同時期に初来日ということで(残念ながら当館には来館せず…)「華麗なる英国王室 その過去と未来」と題し、上智大学英文学科教授である小林章夫氏をお迎えしました。こちらも平日にも関わらず、多くのお客様がご来場。小林先生はイギリス文学・文化をご専門にされ、英国王室に関する著書も多く執筆されています。今回は90分という限られた時間でしたが、ロイヤル・アカデミー創設年1768年に即位していたジョージ3世に始まり、ヴィクトリア女王やチャールズ1世、2世など個性豊かな面々を中心に英国王室の歴史250年分をぎゅっと凝縮して振り返って頂きました。豊富な裏話を交えた先生のお話しによって、当初縁遠いように思われていた王族にも人間的な親しみを覚えることが出来ました(特に現在チャールズ皇太子が在任期間歴代1位を更新中であることなど)。私はかつて世界史で学んだ知識を総動員しながら拝聴しましたが、イギリス史について熟知されている小林先生はいくらでもお話しが尽きないといったご様子でした。

今回のように展覧会に関係するテーマを設定し、関連イヴェントとしてその分野を専門にされている方にお話しして頂くことは、作品を多角的に捉えるための重要な機会なのだなと実感する今日この頃です。

(N.O)

ロイヤル・アカデミー展が開幕してから早くも2週間が経過しました。新米学芸員Oが副担当を務めております。今回初めて本格的に展示設営作業に携わったので、ここでは展覧会が作られていく展示室内の様子をお届けしたいと思います。実はこのロイヤル・アカデミー展はオーストラリアからの国際巡回展。日本では石川、東京、静岡と巡ってこの愛知県美術館が最終会場です。静岡の展示は1 月25日までということで、作品の到着を待つ間愛知県美術館では展示室内のディスプレイが進められていました。
 

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今回は布を使って壁を装飾していきました。ちなみにこの赤茶色は実際にロンドンのロイヤル・アカデミーで使われている壁と同じ色。このようにして展覧会のイメージに即した雰囲気を作っていきます。約20人の作業員さんたちの手にかかれば短時間で完成。
 

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どこにどの絵を掛けるかがすぐに分かるように、図録から図版をコピーして壁に張っておきます。これで展示の準備は万端。同時にこの頃、静岡市美術館では作品の梱包、および撤収作業が行われていました。私は早朝からの作業に備え、この日の夜から静岡入り。

静岡から名古屋間の作品輸送および愛知県美術館の展示作業は、ロンドンのロイヤル・アカデミーからクーリエとして来日した学芸員のヘレナさん、作品管理を担当しているエドウィナさんの立会いのもとに執り行われます。お2人ともとても気さくで良い方たちでした…!展覧会のオープニングから6日前、作品を積み込んだトラックは静岡市美術館から一路、愛知県美術館にやってきました。(トラックに同乗した私は途中、浜名湖のサービスエリアにてうなぎパイもちゃんと購入しました)
 

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しかし、作品を展示室に運び込んでもすぐに作業に取りかかれるわけではありません。場所を移動したことによって温湿度も変化するため、シーズニングといって暫くその場に置いて慣らすという工程が必要になります。
 

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展示作業は翌日午後から再開。専用のクレート(木箱)から取り出された作品は一点ずつ損傷がないか、クーリエたちによって入念なコンディションチェックが行われます。今回巡回先についてまわっている修復家の方は、コンディションチェックをするばかりではなく、額縁の欠けなどがあればクーリエの許可のもとその場で修復してくれました。このようにして96点の作品を3日間かけて点検していきます。(先輩学芸員からは当然との声が聞こえてきそうですが、基本的には終始立ちっぱなしです)
 

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点検を終えた作品からどんどん美術作品の輸送を専門とする業者さんの手によって定位置へと運ばれていきます。この展覧会の第一会場である石川県立美術館から同じスタッフが作業を担当しているため、作品の取り扱いについては誰よりも熟知している実に頼れる存在なのです。かなり重さのある大理石で出来たヴィクトリア女王の胸像も、見事な連携プレイによって着々と彫刻台に乗せられていきます。
 

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最終的にはロイヤル・アカデミー側から指定された照度に従って(絵画は200ルクス、版画は70ルクスまでと暗め)照明を調整し、現在はこのようになっています。照明や壁の色が重厚な雰囲気を作り出すのに一躍かっているのが、お分かり頂けるかと思います。

そもそもロイヤル・アカデミーとはロンドンに1768年に設立された、芸術家を支援するための芸術機関。当時、芸術家が作品を発表する場が整っていなかったイギリスにおいて恒常的に展覧会を開催するということを取り決め、また初めて美術学校の運営を開始したロイヤル・アカデミーは、現在の英国美術の礎を築いたといっても過言ではない存在なのです。今回は日本でその所蔵作品を公開する最大規模の展覧会となります!是非足をお運び下さい。(N.O)